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The Hideout-5

Burnout

「新田、ここへ」
「新田秀明。本日付で基礎研究チームに配属になりました」
 それだけ言って頭をさげる。チームのメンバーは各人のパーティション付きデスクの前で、作業から少し顔を上げて簡単な会釈を返した。彼を案内してきたリーダーの原賢治は、それぞれを見ながら新田へ紹介する。
「出水倫治はプログラミングと解析担当。瀬戸内夕香はwet workがメインで、相川譲が彼女の下で修行中だ」
 痩躯を丸めてめがねをディスプレイにぶつけそうな姿勢でキーボードに向かう出水、長身のショートカットでTシャツにジーンズ姿の瀬戸内、大きな目と浅黒い肌に白い歯をした快活そうな相川。ここには、この三人しかいない。
「これだけの人数であのプロジェクトを?」
「HICALIの件は社内でも極秘だ。なるべく関わる人数は少ないほうがいい」
 こんなチームがあるのは、CeRMS入所五年目の新田も今回はじめて知った。対外的なパンフレットやWebサイトにはそもそもチーム名の記載がなく、新田が入所の時点で渡された資料の組織図にも「基礎研究チーム」として簡易な説明がされているだけだった。曖昧なチーム名なので、おおかた他部署で不発の基礎分野の土台的な研究の残務処理でもしているのだろう、と憶測をよび、それがかえって本質を隠していたのだ。そしてその設置から関わり、現在の統括と進行、機密保護を一手に引き受けているのがこの原だった。
「なぜ僕を加えることになったんです」
「新田にしかできない仕事がある」
 原が手元のタブレットに論文とデータを呼び出す。ワイシャツにきっちりネクタイを締め、髪を後ろへ撫でつけて固めた原の姿は、プロジェクトを率いる研究者よりは遣り手の営業担当者といった風情だ。
「発生動態チームがリリースしたマウスのゲノム編集の新手法、メインで担当してたのは新田だな? この技術をhumanに応用したい。そのためにリクルートした」
「ヒト胚への応用なんて倫理的に不可能です」
「技術的には問題ない」
 新田は黙って原を見る。原は切長の目で新田を鋭く見下ろしていた。これ以上は訊かないほうがいいのだろう。
「……承知しました」
「プロジェクトの詳細は私から話す。隣のオフィスに入れ」
 原のデスクは簡素に仕切られた別室の窓に背を向けるようにしてあった。PCディスプレイと書類ケースのほかは二、三の紙の資料や論文が出ているだけで、机上は整っている。余計なメモや付箋、紙の類はおろか、カレンダーやコップすらない。ブラインドが下がる窓からは光が入らないが、白熱灯の強い光が人工的な濃い影をつくり、独特な気迫を感じさせた。
「現行の実験プロトコルはチームメンバー専用のクラウドストレージで共有している。ファイルを開いてほしい。HI-40の作出が進行中だが、課題は多い。37~39のトライでは、必ずベース部分となる個体の胚発生が中断した」
「原因の解析は」
「原因の可能性がある遺伝子を出水がシーケンスデータから洗い出した。最終候補のリストがある」
 新田は自分のタブレットに候補遺伝子のリストを呼び出す。50ほどが並ぶ中、2つの名前に見覚えがあった。
「僕のマウス実験の際のターゲットに含まれる遺伝子です。マウス同様、ヒトではこれらが活性化しているとクローン胚の成長過程でアポトーシスが引き起こされ、最終的に自壊すると仮定していました」
 顎の無精髭を左手でこすりながら新田が続ける。
「クローン胚にゲノム編集を加えて当該遺伝子を除去すれば問題ありません。本来ジャンクとされて個体の形質にも生命維持にも関わらない部分ですから」
「Humanの場合、CRISPRでゲノム編集すると胚発生に異常が出るはずだ。偶発的なゲノム編集は完全に阻止する技術がまだない」
「そこを想定してさらに手を加えたのがあの論文のポイントです」
 新田が自身の論文の図をタブレットに映して示す。
「ゲノム編集酵素を修飾して、狙った遺伝子以外の部分ではこれが効かないよう抑制するんです。Cas9に強固に結合する核酸分子を特定して細胞内に打ち込んでいます。意図しない部分を切らないようにしてるんです。ただし、この方法が100%成功するためには条件があります」
「条件」
「編集前の細胞がオスの個体由来のものでないとだめなんです。Y染色体上の遺伝子にはほとんど意味がないとされてきましたが、ここに僕の打ち込んだ核酸のはたらきを強化する部分があるようで、メスの細胞には同じやり方が通用しないんです。現状ではオスの個体のクローンしか作れないことになってしまいます」
 原は腕組みをして目を閉じ、ふむ、と応えて思案げにする。新田は片眉を上げてうなずく。原の様子では、オスのクローンしか作れないことには問題がありそうだった。これでは僕がここのチームに加わる意味は大きくないかもしれないな、と思ったところで、原がこちらを一瞥した。
「その件は私がなにか対策を考える。今日はこの後ラボミーティングだ。現在までの各人の進行状況を聞かせるから、新田は自分の研究計画を立ててくれ」
「……はい」
 口の中で小さく返事をしながら、新田はチームの極秘プロジェクトファイルのタイトルを見やる。Human Interface Cloning Arised from LIBERTY、通称HICALI。「自由」から生まれた、人のためのクローン作成法。そんなことが、はたして僕らに許されるだろうか。新田は小さく嘆息した。


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