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要約できない思いをここに

ユリちゃんご無沙汰しています。みなさんお元気ですか? 今日は報告があって手紙を書いてるの。LINEでもよかったんだけどたまにはいいかなって。あのね、私、4月に要約筆記者として県に登録させてもらいました。

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音のない世界で生きる友人に少しでも近づけたら。要約筆記者養成講座に申し込んだきっかけはそんな気持ちからだった。受けてみたかった手話講座は締切を過ぎているし、仕事で文字に関わることもあるから手話を覚えるより簡単かもしれない。受講期間も確認せず、もちろん資格試験があることも知らず、もっといえば、この講座で学びさえすれば、ユリちゃんとお友だちとのやり取りをスムーズにしてあげられると買いかぶっていたあの時。明日開講だからどうぞ、という担当者の勧めもあり、その場で申し込み用紙に記入した。

安易な考えのまま出向いた初日。開講式で所長の講話を聞きながら、すごいところに来てしまったと自分の甘さを反省した。ろうあ者の所長には読み取り通訳がつき、話はどんどん進んでいった。圧倒されるほどのスピード感、と言えば伝わるだろうか。所長が話しながら手話を使っていると感じるほどタイムラグがないのだ。私は手話を知らないから、通訳者がどのくらい話をまとめていたのかわからない。原稿があったのかもしれない。でも、アドリブのような話まですべてが自然に繋がっていく同時通訳にすっかり心を奪われてしまった。

要約筆記は手話とは違う。伝え方だけでなくメインで利用する人が違う。受講を決めてから知ったのだけれど、要約筆記は人生の途中で音を失った人、つまり手話を母語としない方々のコミュニケーション手段として生まれたものだった。事故や病気である日突然(もしくは少しずつ)音声でのコミュニケーションが難しくなり、今までたやすくできていたことが同じ方法ではできなくなってしまう中途失聴者。手話や口話の指導を受けていない彼らが聴力を失うということは、音が消えるだけでなく、人間関係や自分の軸までも失う恐怖を抱えることを意味する。それがどういうことなのか、健聴者の自分には想像しかできない。懸命に考えても真の辛さに近づくことは難しいだろう。彼らに寄り添い、音の代わりになる。そんなことが私にできるだろうか。要約技術を身につけるのは最低限で、もっと深くて複雑なスキルが必要に違いない。

所長が笑顔で伝えてくれた「頑張ってほしい」には、単に講座を終えることを励ますだけではない、もっと強いメッセージがこめられているように思えた。

2年間の講座は、仕事を持ち、母でもある私が気軽に通えるようなものではなかった。文章の要約は経験があるから大丈夫かもしれない、なんて一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。同時性が重要となる要約筆記は、時間をかけて内容をまとめる作業とは全く違う。読み返して直すということができない。ときに文章のつながりよりも、早く届けることが優先されるし、利用者が個人であれば、その人に不要な情報は省く場合もある。聞こえている人と同じ場で、聞こえていたときと同じようなコミュニケーションが取れるよう、情報を保障すること。私が仕事でやってきたことが役立たないとまでは言わないが、種類の違う作業であることは明らかだった。

講座は厚生労働省カリキュラム準拠のテキストに沿って進んだ。聴覚障害の基礎知識から始まり、社会福祉の歴史、要約筆記の基礎や筆記者としての在り方、社会福祉従事者としての心構え、正しい日本語表記など内容は多岐。講義のあとは毎回レポート提出があり、回が進んで実技指導が入ってくると課題はますます増えていった。

内容もそうだけれど、もっと難しいと思ったのは課題に終わりがないことだった。最低限の内容を終えても、背景知識を増やしたり、パソコンであればタイピング、手書きであればペン書きの練習はいくらでもできてしまう。自己研鑽には際限がない。目標を自分で決められるという利点は私にとっての難点となった。

忙しくて決められた課題で精一杯、そんな週もある。だからといってそれを責める人はいないし、もっと勉強しろと言われるわけでもない。でもそんな状況が続くと私は怖くなってしまうたちで、他の受講生はどのくらい自習をしているのだろう、運良く試験にパスできたとしても、実力不足の要約筆記者では利用者を深く落胆させてしまうのではないかと、不安は募る一方だった。

筆記と実技、試験では各々に合格基準がある。特に実技は、公表されている点数配分を見ただけでは自分がどの程度 得点できているのかわからず、適当な音源を見つけてひたすら練習するしかなかった。筆記の方は統一試験の数ヶ月前から過去問を解きはじめ、間違った箇所を集めてオリジナルのノートを作った。単語帳を持ち歩き、隙間時間にめくる。この方法で本当にいいのかと焦ってばかりの日々。大人になってこんなに勉強をしたことがあっただろうか。

年表を貼りつけた階段の壁。重要語句のメモでいっぱいになっていくトイレや洗面所。年末年始は図書館に出かけ、夕飯にはファーストフードが頻出した。それを黙認し、応援し続けてくれた家族と、仕事の発注量を調整してくれた仲間には感謝しかない。

試験が近づいた1月。初期の講座で出会った難聴講師に、実技実習で再会した。まだ要約筆記者がなんたるかも知らずにいた私たち受講生に向かって「どうか味方になってほしい」と頭を下げてくれた男性講師だ。いくつもの講座を受け持ち、多くの受講生と接している彼はきっと私を知らない。でも、どうしても気持ちを伝えたくて、人工内耳で聞きとれる距離まで近づいて声をかけた。

「先生があの日伝えてくださったメッセージが励みになっています」

突然、呼び止めた私に驚きながらも、講師はうれしそうに笑ってくれた。「それしか言えないんだよね」と呟きながら。あの日「味方」という言葉を選んだ背景にはどんな日々があったのだろう。どれほどの辛さがあったのだろう。想像することしかできないから、せめて今日の気持ちだけは忘れないと心に誓った。最後に彼はファイティングポーズを取りながら、試験がんばれと伝えてくれた。

音のない世界は私には遠い場所だった。ユリちゃんご家族と出会わなければ、立ち止まって学ぼうとは思わなかっただろう。実際にはまだ入口に立ったばかりでこれから知ることのほうが圧倒的に多い。ここから私の心がどう育っていくのか、今は全くわからない。

手話を母語に持つユリちゃんたちがサポートを頼むのは手話通訳だから、要約筆記者が直接お手伝いをする機会は少ないかもしれない。でもトータルコミュニュケーションという言葉が指すように、聞こえを複数の手段で補うものと考えれば、いつかユリちゃんの隣に立つチャンスも巡ってくるかもしれない。なにより、聞こえに障がいを持つ方はすべてユリちゃんの仲間なのだ。大丈夫、私は当初の目標までたどり着けている。

今回 私は、パソコン要約筆記と手書き要約筆記を同時受講し、試験も同時に受けた。合格したのはそのうちのひとつ、手書き要約筆記の方。パソコンは実技の最終問題の点が届かず通過できなかった。

原因は分かっていた。手書きの実技試験直後に受けたパソコンの実技試験。5分程度の音源が2問流れるが、2問目に入る直前、私は迎えを頼んだ妹のことを考えていた。予定より時間が押しているのに連絡が取れない。近くに車を停められるだろうか。息子から借りてきた時計を見ながら、何分待たせるかな、と思ったとき、音源がスタートした。

仕事でMacを使っている私は、Windowsのキーボード操作もやっと覚えたというレベルだった。タッチタイピングは必死に練習したけれど、間にMacを使うと頭がぐちゃぐちゃになってしまう。そんなレベルの自分が集中力まで切らしてしまったらミスの確率は上がる。案の定、リズミカルな文字の表出もできず、ミスタイプもあるデータを提出して試験を終えることとなった。

音源のテーマは自分に馴染みのあるもので、内容は理解できていただけに、結果が届いたときはとても悔しくて落ち込んだ。最後の1問の合格点まであと少し。集中力さえ維持できれば手書きもパソコンも両方受かったはずなのに。

やりきれない気持ちで過ごす中、ふと講師の言葉がよみがえった。

「味方になってほしい」

そうだ、彼はそう言ったのだ。自分より社会経験もなく、ずっと若い私に。

まったく何をやっているんだろう。試験に合格することばかりを考えて本質を見失っていた。ちょっと気を抜いたくらいでパソコン操作もおぼつかなくなるレベルで、聞こえに不自由を抱えている方に寄り添うなんて無理に決まっている。ぎりぎりのところで受からなくてよかったのだ。

合格した手書きの方は自分が思っていたより高得点だった。試験直前、手書き筆記の難しさに改めて気づき、練習を繰り返した成果が出たようだ。パソコンの方は講座の終了証書があるから来年 統一試験を受け直すこともできるけれど、今、再挑戦すべきではないと思った。まずは手書きで頑張らせてもらう。利用する方に喜んでもらうためにも、抱えている仕事と要約筆記の仕事を両立するためにも、そうするべきだと心から思えた瞬間だった。

2月に全国統一試験を受け、3月中旬に合格の通知が到着。ほっとしたのも束の間、下旬には県の登録試験が待っていた。その合格報告を受け、認定式に参加したのが4月中旬。受験勉強のスイッチを入れてから気づけば5ヶ月ほどが過ぎていた。

ここから研修期間を経て、夏の初めにやっと現場に出られるそうだ。かなり厳しい研修になると聞いているけれど頑張るしかない。次の目標地点は3年後にしておこうか。胸を張って「要約筆記者をやっています」と言える私に、どうかなれていますように。

自分と向き合い過ごした濃い時間にひと区切り。受験前に買ったカップ麺、”勝プヌードル”のダルマにも目を入れた。せっかくだからかわいい顔にしようとまつ毛をつけたら、あれっ?という仕上がりになってしまったけれど。

家族に笑われながら食べるのもいいかなと思っている。



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心を寄せてくださった方々へ

記事やツイートに反応していただいたこと、
あたたかなメッセージを届けてくださったこと、
お守りを送ってくださったこと、
すべてが背中を押してくれました。

無事に合格できてほっとしています。
力強いエールを、本当にありがとうございました。

ここからまた精一杯、頑張りたいと思います。

2023.5 suzuco



#創作大賞2023 #エッセイ部門

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