見出し画像

息子と私は同級生

習い事の帰りに立ち寄ったフードコートのアイスクリームショップ。
こんなにたくさんのフレーバーがあるというのに息子はバニラしか頼まない。なんだかもったいない気がして他のものを勧めるけれど首を縦に振ったことは一度もなく、じゃぁせめてとホイップ付きの割高なメニューをオーダーさせる。

反対にバニラだけは頼めない私はケースの前で迷い続ける。そうならないように前もってメニューを見ておいたのに、それでも迷う。新作のピスタチオと大好きなストロベリーの二択。そこまで絞っておいたのに実際にミドリとピンクを目にしてさらに迷う。だったら両方は?一瞬よぎるけれどダメダメ。カロリーもお値段もだいぶオーバーだ。

「すみません、今、テイスティングしてもらえなくて」

謝まってくれる店員さんに、こちらこそごめんなさいと言いながら慌てて目の前のチョコレートをお願いしてしまった。あー、やっちゃった。ミドリとピンク、混ぜたら茶色になるんだっけ。


チョコアイスの乗ったコーンを持って席に着く私。
クスクス笑いながらカップのバニラを頬張る息子。

目を合わせて一緒に笑った。

数年前の私にはできなかったこと。



こんな母でいいはずがないと長い間 思っていた。

みんなそんなものだよと励ましてくれるママ友の前ではうなずいて見せたけれど、本当は納得できてなんかいなかった。

納期直前になるとご飯の準備より仕事を優先する、計画通りに行かないとイライラが顔に出る、部屋に虫が入るとギャァと大声を出す、宿題をしている息子の横で居眠りをする、頼まれていたノートを買い忘れる、思いが伝わらないと涙を流してしまう。

お母さんというものは、自分の感情を見せずに子供に接するもの。

私の常識は、私には遠すぎる理想だった。


長く勤めてからフリーになった今の仕事は、それなりに順調だった。結婚して退社した私と違って、同期や後輩は実力と肩書きを併せ持つ優秀なクリエイターになっていて、一緒に働くメンバーを選ぶ権限もあった。私はできないことがある代わりに、適任だと思ってもらえることもあったようで、コンスタントに声をかけてもらえていた。もちろん私以上のクオリティで仕事を納品できる外部スタッフは山ほどいるのだから、メンバーを決める段階で同僚のやさしさが大きな力となっていたのは間違いないだろう。でもそのおかげで、世の中が激しい渦に巻き込まれても、私は自分の生活をなんとか守ることができていた。


社会に出てから、自分が抱えるものはすべて合格点を出したいと思って生きてきた。期待されている仕事はもちろんのこと、仮にそれが労働時間と報酬がつり合わない作業であっても、若いお母さんたちとのギャップを感じてしまう学校の役員であっても。手を伸ばしてつかんだのは自分がやり遂げると決めたもの。共に働くメンバーの中で年齢が上であればなおのこと、知らない、できないは許されないと思っていた。


100点を取ろうとしていたわけではない。みんなから褒められたいという願望もなかった。ギリギリ80点でいいから、どんなこともバランスよくこなしたいと思ったのは、過去の自分を肯定するため。保育の勉強、デザインの勉強、コピーの勉強、今まで家族や周りの人達に甘えていろいろやらせてもらったのにどれも自信を持って「やれる」と言うことができない。そんな私が胸を張るためには、一つでも多くのことで合格点を取り続けるしかなかった。


家事と仕事の両立はなんとかなった。決めるのも動くのもすべて自分、工夫すればやりくりは簡単だった。でも息子との生活は違う。予定はあってないようなもので、私はいつも慌てていた。原因は、いつ泣き出すかわからないという不安ばかりではない。初めての寝返り、つかまり立ち、一人歩き、喃語から単語に変わる瞬間、意味を持ちはじめていく笑顔。愛しいそれらを全部見逃したくないという新たな欲のほうがずっと大きかったと思っている。


離乳食は手作りしたいし、公園遊びも、友達との出会いもきちんとさせてあげたい。そう願うほど、仕事をうまくこなせなくなった。湧き上がってくる不甲斐なさ、合格点が取れなくなるかもしれないという恐怖。

不思議なことに、不安になればなるほど周りに頼れなくなった。気づいた時には、手伝いに来てくれるという母の申し出を断り、仕事が忙しかったパートナーに頼ることもやめ、一人で子育てをしようと躍起になっていた。「高齢出産は両親に余裕ができて良いことも多い」という雑誌の見出しを「自分たちだけでやれて当然」と解釈してしまうほど、私は病んでいたのだと思う。

結局、限界が来る前に母が来てくれて、やっと私は「助けて」ということができた。おかげで体はラクになり、安心して眠れるようになった。

それでも心のモヤモヤだけはどうしても晴れてくれなかった。


授からないと思っていた息子の心音を初めて聞いた時、
分娩台の上で生まれたてのわが子を見せてもらった時、

あんなに感謝したはずなのに。
私のところに来てくれてありがとうって。

あんなに誓ったはずなのに。
いいお母さんになるからって。


私は、こんなお母さんになるはずじゃなかったのに。



息子が小学2年の時、ベテランの教師に出会った。年上で経験豊富、笑うと目尻にシワが寄るやわらかな女性。私は安心していたのだと思う。面談の席で、自分が母親としてうまく役割を果たせていない不安を先生にこぼしてしまった。


「お母さん、〇〇くんはとてもやさしいお子さんです。なにも心配することはありません」

ゆっくりと話し始めた先生はこう続けた。

「“育児“って子を育てるって書きますけど、私ね、自分を育てると書く“育自”もあると思うんです。『”いくじ” は子を育て、自分を育てるもの』。だから一緒に成長すればいいんじゃないでしょうか。思い描くお母さん像があるのなら、ゆっくり近づいていけばいいんです」


私は、目頭をハンカチで押さえながら頭を下げた。
そして、この日を境に落第点が怖くなくなった。


”いくじ” は子を育て、自分を育てるもの

この言葉はずっと変わらぬ私のお守りだ。


息子を授かった日、母としての私が誕生した。
だから息子と私は同級生。
先に大きくなる必要はない。


知っていることは伝える。
先に気づいたら教えてもらう。
知らないことは一緒に探していく。

きっと、それでいい。



「あー、ほら、チョコがたれてきちゃうよ。ドジだから気をつけないと」

まったく、これではどちらが手のかかる子供かわからない。


でも、このチョコアイスがとてもおいしかったことも、これを選んでよかったと思っていることも、キミにはまだ気づけないでしょう?


息子が複雑な色味のチョコを選べるようになる日はいつだろう。私の手元を不安そうに見守る姿を眺めながらふと考えてみる。私の方はまず、ピスタチオとイチゴとチョコの三択からだ。そしていつか真っ白なバニラもいいかなと思えたらいい。


よし、負けないよ。

思いっきり笑いながら、ゆっくり成長していこうね。


この記事が参加している募集

忘れられない先生

届けていただく声に支えられ、note 3年生になりました。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。