ハロー!プロジェクトに出会った話

先日、心と体が壊れかけてしまった。
体調不良から病院へ行き、薬をもらったはいいがその薬が全く合わず、むしろその薬によって体がボロボロになってしまった。副作用で食欲がなくなり、胃が常にムカムカしていた。食堂と胃の間で風船がパンパンに膨らんだような圧迫感と吐き気で、仕事に行っては便座にえずき続けた。不運にもゴールデンウィークと被り、病院に相談できないまま過ごした。
そうしているうちに、今度は心がおかしくなってしまった。何をやっても楽しくなく、嫌なことばかり考えてしまう。その嫌な考えがどんどんと大きくなって、気が付くと絶望感と無力感で涙が止まらなかった。具体的な原因があるわけではなく、ちょっとした事の積み重ねが心に刺さり、それがずっとのしかかっている感覚だった。良くならない身体への不安で眠れなくなった。寝たとしても悪夢を見て、夢の中と現実で枕がベトベトになるほど泣いていた。耐えられなくなって重たい体を引きずりながら精神科に行くと、うつだと言われ、薬を出された。お医者さんがどう考えていたかは分からないけど、とにかく仕事を辞めたいと繰り返す私を宥めるように診断書を出しているように感じて、何も信じられなくなった。そしてとにかくまた薬が増えてしまったということが不安で仕方がなかった。
その薬の副作用で朝起きると体が鉛のように重い。体を起こすのでさえ辛くて、口の中がやたらと渇く。水を飲んでも飲んでも潤わないことが恐ろしくなり、精神的にどんどんと追い詰められていった。
会社も休みがちになり、仕事に行くのがたまらなく怖くなった。同僚にどう思われているのだろうか、迷惑な奴は早く辞めろと思われているのだろうか、そんなことばかり考えて涙が止まらなかった。上司からは、一度長期間で休んだらどうかという話もいただいたが、一度休んでしまうともう戻れなくなることは分かっていた。だからこそどこにも逃げ場は無くて八方塞がりで先の見えないトンネルに迷い込んだような暗い日々が続いた。もう二度と安心して過ごせないかもしれないと本気で思った。常に心がヒリヒリして怖くて悲しくて寂しかった。休みたいと心では思っているけれど、それでもどうしてもきっぱりと休む選択を取る勇気が出なくて、結局休みながらも仕事に行き続けた。地獄のような日々だった。気分がわるくて仕事にならなくても無理に体や頭を動かす。仕事中何度も頭痛がして怖かった。上司にとって、こんなことで仕事に来れなくなる部下なんて初めてだろうか…とかそういうことを考えていた。なぜだかわからないけれど、誰にもこの気持ちを伝えることができなかった。元気もなかったけれどとにかく人から与えられる刺激を恐れた。朝は吐き気で食べられず、昼は弁当をほんの少し、夜も吐き気でそのまま寝る。なにも楽しいことは無かった。もうこのまま死にたいとまで思った。楽になりたい。どうしてこんなに生きるのが下手なんだろうか。どうしてこんな思いまでして生き続けなければいけないんだろうか。精神科で出された睡眠薬を飲まないと寝れなくなり、そんなある日、ついにぷっつりと心が切れてしまった。

上司に休む連絡をいれてベッドの上で絶望していた。もう体を起こすことも出来ない。体が重くて重くて重くて、寝ても寝てもだるい。食事も取れない、水分も取りたくない。だから排泄もしない。何もできない。布団にくるまって目だけを動かすことしかできなかった。怖くてたまらない。どんどんとできないことが増えていく。当たり前にご飯を食べれていた日々が懐かしかった。このまま私はどうなるんだろうか。仕事を辞めたら楽になれるんだろうか。収入源が無くて、このままずっと仕事が出来なければ、私は一体どうやって生きていくんだろうか。もう何も出来ないし、どこへも行けない。今まで感じたことのないような閉塞感と絶望感で押し潰された。

そんな時、友人が私にDVDを送ってくれた。それが、テレビドラマの「真夜中にハロー!」だった。見たいと話したら、録画してそれを焼いてくれていたのだ。カラフルなパッケージのDVDに手書きでタイトルと話数を書いてくれていた。それがなんともあたたかくて嬉しくて…
本当にたまたま、ふと思い立って再生した。

泣いた。

そこには、様々な悩みを抱え、苦しんだり悲しんだり挫折や絶望を感じながらも、それでも前を向いて進んでいく人々の姿があった。そして、ハロー!プロジェクトのメンバーと沢山の楽曲があった。
もともと興味はあり、音楽を聴いたりyoutubeでPVを見たり、好きなグループもあった。でもここまで魂で惹かれたのはこれがきっと初めてだった。
特に、「そうだ!We'reALIVE」この曲はこのドラマで初めて聴いたのだが、サビで「幸せになりたい」と歌い出したのだ。聴いた瞬間、正直驚いた。そして涙が溢れてきた。そうだ、私は幸せになりたかったんだ…そう思った。
仕事も人間関係も何もかも必死になってここまで来た。私は頑張っている自分をいつか誰かが認めてくれてその瞬間にこそ報われるのだと思っていた。信じていた。それこそが幸せだと、幸せになりたかった。自分が喉から手が出る程欲しいものを生まれた時から当たり前のように持っている人や、努力せずとも手に入れられる人もいる。そんな人が妬ましく感じるばかりだった。どうしてあの人ばかり…必死に私は頑張っているのに。でもそんな事言えるわけがなくて、心の中で燻るばかりだった。この曲を聞いて、そういう気持ち全部が昇華された気がしたのだ。私は幸せになりたかったのだ。そう深く自覚した。本当は、『そんな事言えるわけがない』ではない。そう口にすることが怖かったのだと思う。不幸せだと感じている自分を直視するのが怖かった。だって心の中では自分は1番頑張っているつもりだったし、いつかきっと報われると少しは思っていた。我慢している自分こそが偉いとさえ思っていたのだ。けれども結局はうまくいかないことばかり、思い通りにいかない毎日。素直に気持ちを出せる人が羨ましかった。だから、幸せになりたい!という歌詞はズドンと胸の中に飛び込んで来た。そして嬉しかった。私は幸せになりたいんだと思えたことが心底。

それからは寝ている時間以外は、youtubeでハロー!プロジェクトのPVを見るようになった。気分が落ち込んでいて、その音楽さえもうるさく感じる時もあった。それでも見ることだけは続けていた。その時に出会った楽曲のことを少し話そうと思う。

モーニング娘。「ブレインストーミング」

いつかきっと感動できる
明日にゃきっと安心できる

鬱で心が動かなくなってしまって何かを楽しむことも出来なかったし、毎日不安で押しつぶされそうだった私は、この歌詞に本当に救われた。きっといつかこの暗くて寂しい時間を乗り越えて安心できると、そう信じることができた。
そして暗闇から手を掴んで引っ張り上げてくれるような力強さを、この曲から感じた。
曲中で強気に歌う彼女らだって不安で眠れない夜や、辛くて立ち直れない時も、凹んで閉じこもってしまいたいときだってあるけれど、それでもこっちにおいで!と歌ってくれた。私を部屋でひとりぼっちにしなかったし、自分の意思で外に出て素晴らしい景色に出会う勇気をくれた。


モーニング娘。「よしよししてほしいの」

一人でいるのは 嫌じゃないけど
一人でいるのが 楽なんだけど
一人でいた方が 他の誰かを
一人でいた方が 傷つけたりしないし
本音を話すと みんな眉をひそめて
問題児扱い するじゃん
笑顔が私の 防御ですから
返事が良いのも 防御ですから
優等生なのも 防御ですから
みんなそれぞれに 防御があるんでしょうが
本音を話すと なんかその後ぐったり
脱力感が 残る…

変な話だけれど、全部私のことを歌ってるのかと錯覚するほど、腑に落ちた。
正に今の自分は、自分らしく生きた上で、そんなありのままの自分をだれかに受け入れてもらって、よしよししてほしいのだ…でもそんな期待はしていない。期待しても落ち込むから予防線は張る。それでも誰かによしよししてもらえたら…それはどんなにいいだろうか。安心して、愛に包まれて、柵から解き放たれるんじゃないか。と、そういう期待は捨てきれないのだ。実際のところはなんでも話してと言ってくれる人だって、本音を話すと無意識に相手にして欲しい態度や返事を求めてしまって、勝手に期待を裏切られた気になったりしている。ただ私は私を受け入れて欲しかっただけなのに…とそう思うのは贅沢なのだろうか。だから人に本音を話すのが苦手だな、と日々そう感じるのだ。
気難しくて嫌だと感じていた私の気質というか、性格の核の部分を何か代弁してくれているように思った。
自分のこういうところが嫌いだったし、無くしたい目を逸らしたい自分だった。でもきっと心の渇きで苦しんでいるのは私だけじゃないし、みんな嫌いな自分を抱えている。他者からの認定によってしか自己を保つことが出来ない苦しさや根本的な満たされなさを共有できたことに、不思議な安心感と親近感が湧いた。


スマイレージ「ヤッタルチャン」

「愛情が足んないの」なんて
言っちゃって 甘えちゃって
たぶん100万回「愛してる」とか
言われたって 足んなくて
君は いつだって
「More More More」
そして いつだって
「NO NO NO」
どんな時も
サミシイチャンだもんね

刺さった………いくら欲しい言葉を貰ったって、自分を信じられていない自分はそんなんじゃ足りない、ばかり。moremoremoreなのだ。自分が自分を認められないから他人から貰った言葉すらもNOと拒絶してしまう。だから愛情が足りないと喚くけれど、上手に受け取れなかったのはこちらの問題だったのだ。
もっと褒めてくれ、もっと認めてくれと喚いている私に、楽しげな歌詞と音楽で諭されたようで自分が恥ずかしくなった。スマイレージメンバーがキラキラの笑顔で、未来の方が「楽しい」って思わなきゃ損!やっぱ 人生は「DO DO DO」そして 人生は「Can Can Can」どんな時もヤッタルチャンがいいね!と高らかに歌ってくれた。
当たり前に人生は楽しくないことがある。辛くて悲しい時もある。けれど昔も今も必死に生きているし、未来がどうなるかは分からないけれど、未来の方が楽しいって信じられるよう、今できることをやりたいし、それがきっとできると自分を信じられた。もう一度頑張りたい。そんな気持ちが溢れて来た。


スマイレージ「〇〇がんばらなくてもええねんで!!」

がんばりすぎずに超リラックス
がんばりすぎずに超フレックス
愛情に飢えてる私たち
ゆっくりその手で抱き抱き抱き抱き抱きしめて

こんなに可愛い女の子たちがめちゃくちゃ可愛い声でこう歌う。核心を突かれてどきっとしたし、なんと言われるより嬉しかった。頑張ったねと言ってくれているようで、涙が止まらなかった。こうやって慰めてもらってやっと気が付けるような弱い人間だけど、でもこの時自分って頑張ってるんだと思えた。今まで頑張ってきた自分をちゃんと立ち止まって見ることが出来たし、頑張ってきた自分のおかげで今があると思えた。過去の自分がなりたかった自分で行きたかった場所にきっと今立っていて、でも毎日とても目まぐるしいからどこに行きたくて何をしたかったのか見失ってしまう。そうやってまた私は路頭に迷うかもしれないけれど、この曲が示してくれた愛情があれば、辛いことに直面しても私は何度だって私を抱きしめられると思った。


前述の楽曲はほんの一部で、他にもハロー!プロジェクトには素敵な曲が沢山あり、何度も何度も救われた。それは何よりも欲しかった安心感を少しづつ得られていくような感覚だった。薬のようにスーッと音楽が心に染み込んで、熱を持って赤く腫れた心に鎮静剤のように効いていった。
私はそうして、いつしか原因となった薬の服用も終わり、体力的にも精神的にも徐々に回復していまは会社にも通えている。私が立ち直れたことにはいろいろな要因やタイミング、周りの支えなども勿論ある。その中でハロー!プロジェクトに出会えたことはやはり私の中で大きく、尊いものだと感じている。あの時私に与えてくれた様々な感情や安心感はちょっと言葉にするのは難しいくらいで、当時の自分が何よりの拠り所としたものだと、間違いなく断言できる。奇跡のような出会いだった。私の毎日に彼女らの歌は欠かせないものになったのだ。

これからも私は落ち込んだり、この時以上に沈み込むこともあるかもしれない。
けれどこうやって好きなものを好きでいられること、そして好きだと発信できることがどれだけ幸せなことかと、今この文章を書きながら噛み締めている。当たり前にできていた食事や人との会話、睡眠や趣味を楽しみこと、全て出来なくなってやっとどんなに幸せなことかと知った。その生活を取り戻した今、この瞬間瞬間を大切に生きて行きたいと思う。そう、人生って素晴らしい。と、そう思える日ばかりじゃないけれど、きっとそうだと心の何処かで信じていたいし、純情を大切に持っていたいなと、そう思うのだ。そしてそれを思い出させてくれたのは、間違いなくハロー!プロジェクトである。本当にありがとう。大好き。


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