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インストラクターの妙術⑥

老人の話を聴いて、
クラブオーナーの勝軒は尋ねました。

「敵もなく自分もない、とは、どんな状態のことを言うのでしょうか。」

老人は答えました。

「自分を意識するから敵があるので、自分を意識しなければ、敵もない。

敵というのは、もともと対となる二つのものの片方の現れで、陰陽、水火などと同じ、対構造のひとつである。

だいたい形の有る物、人間がこういうものだと認識しているものというのは、すべてこういった対構造をなしている。

したがって、自分の心に、形、即ち対象物の性質をこういうものだとして意識するということがなければ、それと対立するということはない。

対立するものがなければ、当然、争うこともない。

これを、敵もなく、自分もないというのである。

対立するものも自分もともに忘れて、深く安らかな心で、一切の妄念をなくした時、全てのものは調和して一つになっている。

こういう状態で、例えば馬に乗ったならば、そこには、自分で操作したという意識はない。

ただ、自然の流れに従って動いたというだけであろう。

このように、心が深く静かで、一切の妄念が消えている時には、馬が自分の手足の延長であり、また自分も馬の一部である、というような心境になっているものだ。


古人に曰く、『眼裏 塵有りて三界窄(すぼ)く、心頭 無事にして一生寛(ゆたか)なり』という。

眼の中にほんの小さな砂が入っただけで、眼を開けて物を見ることは出来なくなるものだ。

もともと塵一つないことで見えているところに、物が入るからそうなるのだ。

人間の心でも同じことがいえるだろう。

また、『千万人の敵の中に在りて、此の形は微塵になるとも、此の心は我が物なり。
大敵といへども、是をいかむとすること能はず。』ともいう。

千万人の敵の中で、自分の肉体は微塵に打ち砕かれようとも、自分の心が確かでさえあれば、どのような大敵であろうともこれをどうすることもできない、ということだ。

馬を力でねじ伏せたり、脅かしたり駆け引きをして騙したりして動かそうとしても、本心から力を発揮してもらうことは出来ないだろう。

指導も調教も要旨はだいたい同じようなもので、相手に術技を伝え理合を諭すことである。

しかし、その奥旨を悟るのはあくまでも相手自身であり、これを『自得』というのである。

術の奥旨は、禅でいう以心伝心、教外別伝で、文字や言葉では表しきれないところを、自ら学びとるものである。

これは指導者が教えないのではなく、言葉では教えることのできないものだからである。

これらはなにも、禅だけではなく、古の聖人の教えから種々の芸事に至るまで、伝承というのはすべてそうである。

教えるということは、弟子が本来持っていながら自覚できないものを自覚できるように導くことであり、指導者が持っている物を授けるのではない。

言葉で理解させるのも、また無理矢理に矯正するのも難しいことではないが、

相手が自分に備わっている物を自覚し、術技を自分のものに出来る導くことは難しいものだ。

これを禅では『見性』と言い、

また『悟り』というのも自ら迷妄から覚めることであり、要は同じことなのだ。」

老人の話を聞いて、一同は、

普段自分たちがレッスンで様々な譬え話などを駆使してアドバイスをしたり、様々な道具や運動方法を用いて馬のトレーニングを行うのも、

相手の「気づき」を促し、相手が既にできるであろうと思われる動き、備えているであろうと思われる能力の中から、必要なものを自覚して使えるようにするための試行錯誤に過ぎないのであり、

相手に何か新しい能力を与える訳ではないのだ、ということにあらためて気づき、深く納得したのでした。

〜おわり〜


  人の習い事も動物の調教も、良い指導者に出会えるかどうかで、その充実度が随分違ってくるものなのだろうと思いますが、

そうした指導者の良し悪しというのは単に競技実績といったことだけで測れるものではなく、
それらが優れた人に習ったからといって必ずしも良い結果が得られるとは限らないのは、周知の事実でしょう。


  教わる人がその持っている能力を活かして「術の奥旨を悟る」すなわち、
こうすれば上手くいく、という方法を見つけることができるかどうかは、あくまでもその人自身の「気づき」にかかっており、

その意味では、「相手の『自得』を促すようなアプローチが出来るかどうか」ということが、
指導者の良し悪しを判断する条件の一つとして挙げられるかもしれません。


  読者の皆さんが、そうした「いい先生」にめぐり会うことができて、
また、馬たちの気づきを促しながら気分良く運動させてあげられるような「良い乗り手」になって頂けるといいな、と思います。









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「馬術の稽古法」を研究しています。 書籍出版に向け、サポート頂けましたら大変ありがたいです。