自己評価は何を測っているのか?
人材育成事業の多くは,子どもの能力の伸長を自己評価で測定しています。自己評価を行う理由は,子どもの内面を評価したいからです。しかし,自己評価でほんとうに内面は評価できるのでしょうか?
1 基本情報
かつて実施していた次世代科学者育成プログラム事業(国立研究開発法人科学技術振興機構支援事業)での結果から考えてみたいと思います。この事業は,理科に高い意欲を持つ中学生を対象にした単年の人材育成事業でした(2016年に事業廃止)。今回は2015年のデータから考えたいと思います。
2015年は以下の内容を実施しています。
(1)アルコール発酵
パン酵母を使ったアルコール発酵における温度効果を測定しました。
(2)イグノーベル賞受賞者講演
涙の出ないタマネギを作られたハウス食品の今井先生に講演をしていただきました。
(3)無細胞タンパク質合成システム
本学が開発した細胞を用いないタンパク質合成法で,アミノ酸から緑色蛍光タンパク質を合成しました。
(4)都市金属鉱山リサイクル実験
田中貴金属工業社に来学していただき,工業的に実施されている電化製品からの金の回収実験を簡易な形で行いました。
(5)コンピューターケミストリー
分子構造シミュレーションと機器分析からプラスチックの構造を推定しました。
(6)クロロフィルの単離と測定
和光純薬工業社から発売されている教材キットを応用したクロロフィルの単離と機器分析による構造の決定を行いました。
(7)フォトクロミズム結晶の合成
紫外線を照射すると色の変わるフォトクロミズム結晶を合成し,その性質について調べました。
この他にも学会参加などを行っています。
2 自己評価の方法
これらの実施における受講生の能力を学力非依存で測定するために,受講生の自己評価から内面を測定することを試みていました。ここで測定した自己評価は以下のような設問に対して尺度法(「そう思わない」から「とてもそう思う」を1から4で評価)でした。
設問例
「独自なものを創り出そうとする姿勢が身についた」
「高度な実験技能や方法が身についた」
「真実を探って明らかにしたい気持ちが高まった」
など15項目
3 自己評価の分析
科学に関するさまざまな内容を実施して,子どもたちから得られた自己評価を分析しました。なかでも自己評価が高かった例と低かった例は以下の内容です。
・評価高 「(3)無細胞タンパク質合成システム」
・評価低 「(6)クロロフィルの単離と測定」
(3)の本学で開発され,現在のタンパク質合成のスタンダードとまで呼ばれる最新の研究手法と,(6)の市販の教材キットを応用した手法で大きく差がつくのは,多くの方にとって意外な結果ではないと思います。しかし,このプログラムでは自己評価の他に,受講生の行動を外形的に計測する形成的評価も行っていました。
4 形成的評価の分析
形成的評価は,受講生の発話や行動を「挑戦する力」「諦めない力」「協働する力」「表現する力」の4つの観点でティーチング・アシスタントが尺度法で評価しています。発話や行動が活発であった場合は評価が高く,逆に発話が少なく,行動が従属的であった場合は評価が低くなります。さきほどのふたつの内容を比較すると以下のようになります。
・評価高 「(6)クロロフィルの単離と測定」
・評価低 「(3)無細胞タンパク質合成システム」
評価は全く逆になりました。(6)では活動中の発話や他者との対話が多く,自由な発想が認められています。一方で,(3)では黙って言われたとおり作業を行う場面が多く,発想の提案はありませんでした。ティーチング・アシスタントの評価は妥当です。
そこで,自己評価と形成的評価の矛盾について探るべく,受講生のインタビューを行いました。
5 能力伸長と満足度の混同
受講生は「(3)は内容を全然理解できなかった」が「難しいことをした」ことに満足して高い自己評価を行ったと回答しました。
理解できないほど高度なことを行ったので「高度な実験技能や方法」「独自なものを創り出そうとする姿勢」が身につき,まったくわからなかったからこそ「真実を探って明らかにしたい気持ちが高まった」と考えたようです。逆に,受講生でも安全に実施できるように配慮された手法では「高度な実験技能や方法」「独自なものを創り出そうとする姿勢」が身につかず,理解できるように教わると「真実を探って明らかにしたい気持ちが高まった」とは感じないようです。
どちらの内容でも大学でしか用いることのできない測定機器や装置を利用しています。つまり,自己評価で受講生が評価しているのは「自分が理解できないほど難しいことを体験した(ので,自分の能力もきっと大きく伸長しただろう)」という満足度であり,理解が深まったことによる能力の伸長を実感しているわけではないのです。
6 複数の評価指標が必要
自己評価では受講生の内面は評価できない可能性が示唆されました。設問や評価法を変えることで内面の測定は可能かもしれませんが,自己評価のみで子どもたちの内面を評価するのは難しいことは間違いありません。
子どもの能力伸長を評価するには,自己評価だけでは不足しています。形成的評価のように自己評価を検証する指標を導入することで,自己評価の課題をチェックすることが可能になります。
そのため本プログラムでは,複数の評価指標を用いた脱偏差値評価法の確立を計画しています。
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