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考えていること*何を好きと言っていいかわからない

私には趣味と呼べるものがない、と言えると思います。

題名とは矛盾するようですが、好きなこと(こだわっていること)はたくさんあって、
まず第一に美味しいものを食べたり飲んだりするのが好きですし、漫画を読むのも、本を読むのも、映画を観るのも、音楽を聴くのも好きです。

さらに詳述すると、食材には特に好き嫌いがなくて、美味しく調理されたものを楽しい状況で食べることに幸せを覚えます。お酒のなかではナチュールワインとアイラ系ウイスキーが好きです。コーヒーも好きで、手動でミルを引いてタイマー付きのはかりを使って毎朝淹れています。
漫画は幅広いジャンルで好きなものがあって、だいたい毎晩Kindleで読んでます。最近寝る前に読んでいるのは(というか何度も読み直している)今市子先生の『百鬼夜行抄』という作品です。
本はたまーにKindleまたは紙媒体で小説を買って読みます。最近はトマース・マン(ここには先生をつけないのか?)の『魔の山 下』を読んでいますが、最後に読んだのが3ヶ月以上前で主人公の名前がハンスカストルプなのかハンスカプストルなのかもはやわかりません。長期フィールド調査に行く時とかに持って行く愛読書的なものは村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』です。
映画はアマプラで観れるものか、または過去に好きだった作品を観ますが、かなり頻度は低めです。最近では(といっても2ヶ月くらい前)スタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』を観ました。これまでに何度も観ているお気に入りの映画はクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』です。
音楽もヒップホップ、ポップミュージック、クラッシックなどのなかで気に入ったものを聴き続けます。以前はApple Musicのサブスクを契約していましたが、都度購入するようになりました。iTunes Storeで買って作ったプレイリストはこんな感じ(随時追加)。

最近ではショパンの聴き比べをして楽しんでいます(もし推しのピアニストがいればぜひ教えてください!)。今の所BalladeだとZimermanが一番好きです。

そう、好きなことはたくさんあるんです。
でもなんていうか、こうした事柄はいわゆる「趣味」とは違うと思うんです。
なぜなら、私のなかで、趣味とは、
①(長いスパンでみて)継続的に遂行する行為で、②行為者はそれに精通している
という条件がつくからです。

↑に書いた「好きなこと」のうち、
①はクリアしていることが多いのですが(映画鑑賞とか読書は微妙なところ)、②はたぶん全てにおいてクリアできていません。
そう、私には、ある事柄を突き詰めて好きになったり、それについて極めて詳しくなったりしたいという欲求がほとんどないんだと思います(こう書くと、大学院生としての素質ゼロな感じしますね)。

さらにいうと、自分のなかの「好き」という感覚にもいまいち自信を持てません。
美味しいものを食べた時とかは、味覚として「本当に」自分が感じているように思うのですが、
例えば服とか、音楽とか、映画とか、本とか、そういったものは、
「これがいいんだ」と、何かに(世間に)思わされている感じが多分にするからです。

服装に関しては特にそうで、
私は子供の頃から服装に対する感性が低かったように思います。
「着たくない」服はたくさんあったんです。レースがついてヒラヒラしたやつとか(母が好きでよく着せられていた)。
でも、かといって、どんな服が「いい」のかがさっぱりわからなかった。
だから、姉の服装をよく真似していたように思います。
音楽もそうで、どんな音楽が「いい」のかがわからなくて、
姉の持っているCDを借りて、周りの友達にあわせて聴いていた、という記憶があります。
映画も音楽も本も、好きになったきっかけは、人(や漫画とかアニメとか)の影響がほとんどです。
『パルプ・フィクション』は、学生時代のバイト先の社長から勧められたし、ショパンは、『ピアノの森』というアニメを観て聴きはじめたし、村上春樹は高校の時の同級生に勧められた。『魔の山』は村上春樹に出てきたやつだし、『時計じかけのオレンジ』は『ダンス・ダンス・ダンスール』という漫画に出てきていた。

30歳になった今は、流石に、
こんな服装が自分に似合うだろう、とか、こういう服が欲しいな、とか、あ、この曲いいな、と「なんか自然に」思うことはありますが、
それでもやっぱり、私ではない何か(世間)に正解を求めてしまうということは変わっていません。
「今はこんな服が流行っているんだな」とか。「この曲がいいとされているんだな」とか。
そういう時に、自分が「いい」(なぜカッコ付きかというと、ここでの「いい」とはあくまで私がアクセス可能な「いい」であって、絶対的なものではないから)とされるものを学習する機械のように、なんだか透明になったように、思うのです。

こんな状況だからこそ、「これが好きです」と言うことにはなんだかとっても勇気がいるんですよね。
「好き」と言ったものがラベルとなって、私自身が評価されたり、「あこんな人なんだ」って思われたりすることがこわい。
そして、一番困るのは、「趣味はなんですか?」と聞かれた時(あんまりそんな機会ないかもしれませんが)。
人並みに(?)、「読書です、映画鑑賞です、漫画を読むことが好きです」などと答えますが、
「じゃあどんな漫画読むんですか」「あ、私もその漫画好きです、あのキャラクターが〜した場面、面白かったですよね〜」とか言われてしまうと、
違う違う、違う!!!ってなるんですよね。
そう、好きだからといって、その話を他の人としたいという欲求はあんまりないのです(↑ピアニストのおすすめ聞いといてなんですが)。

以上の話をまとめると、
私は、「こだわりは強いけれど、趣味と呼べるほどのものはないし、好きなものの話を他人と共有したいと思っていない」人だということになります。
文字にしてみるとだいぶややこしい。

あ、でも、美味しいものを誰かと一緒に食べたり飲んだりすることは、大好きです。
映画を誰かと一緒に観るのも全然大丈夫。
コンサートもむしろ誰かと一緒に行きたい。
話をするのではなく、行為を共有することが好きなのかな。


イスタンブルで買ったランプとクエッタで買ったミニカーペット これは好き


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