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「あえて、ミスらせる」という選択


ミスをするのとしないのとでは、ミスをしないほうが良いに決まってます。

でも、ミスをしないと気づけないことがある場合、果たしてミスをしないことは良いことなのでしょうか?


私はWebディレクター歴が長いのですが、ディレクターなる生き物は常に「俯瞰」をする役割であるため、「あ〜、この人ここでミスりそうだなー」と人よりも先に分かってしまうものです。

そこでそのミスを事前に防ぐように対策を打ったりコミュニケーションをすることは可能です。

しかし「あえてそのミスをさせる」ジャッジをすることも結構多いんですね。


これは私の持論ですが「人は言われただけじゃわからない。自分で気づかないと分からない。」と思っています。

以前このブログ記事を読んだときにそう思ったんです。

この記事の結論の部分に、下記のように書いてあります。

★ 違っているなと思った時は、一カ所がおかしいのではなくて、全体が少しづつ違っているから、全体に手をつける必要がある。
★ 教えてもらうだけでは力はつかず、長い時間をかけて自分で「気づいた」時はじめてそれは自分の力になる。

ミスをするときって、だいたい全体を見誤っていて、その影響が具体的な事象として表出したときにミスになるんですね。

これってミスをする本人は、ミスをするまでそれが全く分からなくて、ミスをして初めて全体の「ゆがみ」が理解できるんです。

Webディレクターを長年やっていると、そういう経験が何度もあります。

同時に、「あーこれ昔、先輩が言ってたな〜」ということにも後から気づくんですね。

つまり事前に注意されていたとしても、注意されたことと目の前で起きている現象がミスをするまで結びつかない。

これってもう人間の本質的な特徴だと考えています。


多少なりとも教育に携わったことがある方ならわかるかもしれませんが「気づかせる」ってなかなか再現性がないものです。

いくら教えても、右から左に流れてしまい、本人の身にならないなんてこともしばしば。

そう考えるとミスをしそうなタイミングって、唯一と言っていいほど本人の気づきを促すチャンスでもあるわけです。

ミスをすると他人に迷惑がかかるので、なるべくミスをなくそうとしすぎてしまい、大事なことに気づけないままの人って案外多いんじゃないでしょうか。

なので私は、あえてミスをさせる。

そのほうが本人の成長のためになると思いますし、長期的に考えたら組織としてもメリットのほうが多いと考えています。もちろんミスの影響範囲にもよりますが。


もっと積極的にミスを歓迎していきましょう。

そこから生まれた気づきで変わる世界もあると思うから。


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