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「結婚」あるいは「婚姻」という概念と違憲訴訟

*この記事は2021年7月4日に書きました。

1,同性婚訴訟の違憲判決と選択的別姓訴訟の合憲判決

このところマイノリティの違憲訴訟が気になっている。私はそれぞれ原告を応援する気持ちでいるのだが、今年2021年3月に札幌地裁で行われていた同性婚訴訟の違憲判決には驚いた。国内5か所でほぼ同時期に同様の同性婚の制度を求める訴訟が提起され、それぞれが最高裁に持ち込まれるまでどんな展開になるのだろうと思っていたのだが、そのシリーズ初回の判決が見事に違憲判決になった。

他方、もっとも違憲判決に近いと思っていた選択的夫婦別姓制度を求める違憲訴訟だったが、先日6月末にこちらは原告敗訴となった。驚きはしないが、期待していただけに残念であった。30年前にまだ学生だった頃、すでに弁護士をはじめとする法曹界は女性が活躍する業界になっていたし、別姓を名乗っている方が大半だったのを知っていた。それを想えばそろそろ時代が法改正か違憲判決のどちらかを認めるところまで来ても遅いくらいだと思っている。もはや反対する理由を探す方が難しい。

2. 双方の原告側主張に採用されていた木村氏の「婚姻=契約パッケージ論」

どちらの判決についてもあちこちでコメントを繰り返していたのは、もはや若手ではなく実力派の憲法学者と言っていい木村草太氏だ。彼は札幌の同性婚訴訟でも、今回の同性婚訴訟でも原告側の主張づくりに大きな役割を果たしていたことを、そのコメントを見聞きしていると良くわかった。

どちらの裁判でも彼がその主張の基礎にしている考え方は共通している。結婚や婚姻を「二人が共同で人生を歩むために必要な契約のパッケージ」という婚姻や結婚の捉え方である。木村氏は、これを基礎に据えて違憲論を展開されているようだ。

選択的夫婦別姓を求める訴訟では、この婚姻という契約パッケージから、ただ単に同一の姓を名乗らなかっただけで、具体的にいえば婚姻届に一方の姓を選択すると書かなかっただけで婚姻を認めずに排除するというのは違憲だというわけである。「両性の合意のみに基づく」という規定や「法の下の平等」という原則に反すると主張したのだ。

他方の、同性婚訴訟においても彼や原告団が主張したことは同様のことである。この婚姻という契約パッケージから、ただ単に二人が同性であるだけで排除するのは不当で憲法違反だという主張だ。基本的には判決もこの考え方を踏襲している言っていい。

夫婦別姓を求める訴訟で最高裁判所の判決というか多数意見は、実はこのような木村氏の主張に全く応答していない。今回の最高裁の多数意見、つまり判決は、主に女性差別の観点から平等権に反すると原告が主張した5年前の前回の最高裁判決を、現時点でも変更する必要がないと述べているにすぎない。木村氏というか原告の主張がまったく無視されてしまい、お粗末なとか怠慢な判決という投げやりなコメントに私も悲しみを覚えた。

3. 思い出したぞサルトル・ボーボワール

「婚姻を契約パッケージと捉える」と聞けば、団塊の世代あたりの方々の中には自然と想いだされる二人がいるだろう。そう、前世紀のフランスが誇る哲学の巨匠同士のカップル。サルトルとボーボワールである。そっちの方の話題を語れるほどの知識はないが、自由恋愛のなれの果ての左翼思想家同士のカップルが行きついたのが「契約結婚」だったなんてイメージくらいは持っている。

となると今回の木村草太氏の主張やそれぞれの原告団の主張が、彼らを叩くようなイメージで批判されることはないだろうか。少なくともそれに応戦するために準備しておく必要がありそうだ。そういうことで、次はそこら辺のことを考えてみようと思う。
















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