二重国籍はズルイ論への対応策を考える

二重国籍を議論するとき、必ず登場するのは「国籍を二つも持っているのはズルイ」という意見です。

Aという国もBという国でも、国籍があることを条件に認められている権利が一定程度あります。たとえば国政選挙で投票する権利や自由に入国する権利なんかがそうですね。

最近の話で言えば、新型コロナの流行に備えた時期、各空港で入国制限をかけたときも、ごく限られた条件でしか外国人の入国を許さない措置が取られた一方で、日本のパスポートを持っている人については、たとえ入国後の行動制限はかけたにしても、入国そのものを拒否して出発国へ送り返すようなことはありませんでした。
なぜ外国人だけに入国制限を課すのか? 差別ではないかという批判もありましたが、これに対して政府の説明は「日本人の入国を制限することはできない」というもの。ここで言う「日本人」とはもちろん、国籍の有無で区別しているわけで、何処で育ったかとか主に日本語で生活しているかとかは関係ありません。国籍によって得られる権利がとても目立つかたちで現れた「事件」でした。

「国籍を二つも持っているのはズルイ」という主張は、自分の人生や自分の家族に二重国籍なんか関係ないと思っている方々には、とても自然に感じられ、受け入れやすい意見なのかもしれません。私たちが持っていない権利を誰かが持っていると感じられれば、自ずと不快感が湧くことになるでしょう。

しかも、社会的に成功し良い地位を得ている人やその家族に二重国籍の人が多い。そんなイメージと容易に結びつきやすいのも厄介です。

「日本社会でクスぶっているあなた方とは違って、地位の高い人たちやこの社会を牛耳っているあの人たちだけが、複数の国籍を持ってそれを便利に使っている」。
もっと言えば、
「国内でクスぶっているようなあなた方には得られない権益を利用して、ますますあなた方と違った恵まれた幸せを享受しようとしているんです」
となるわけで、社会の分断や格差がもたらしているマイナスの感情を煽って支持を広げるためにとても使いやすいフレーズになります。

このように二重国籍の議論が利用されてしまうことをいかに防ぐか。もっとそこに配慮した議論をするよう、私はもっと工夫しなければなと考えております。

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