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運と勘

京都に引っ越してしばらく経って、
大学時代の友人が近所に住んでいることを思い出した。
植物が好きな友人だったので
「苔を探しに行こう」
という奇怪な誘いをしてみたところ、案の定快諾してくれた。

その友人はこれまで何かと運が良かった。
「あなたって本当にいつも運が良くて器用に力を入れずに生きているように見えてたよ」
そう伝えると
「自分も実はそう思っている」
と答えた。

友人は実家が農家で、幼い頃からお父さんと一緒に果樹を眺めてどう剪定をするかを習っていたという。
「自分は小さい時に親父からそういう”勘”を習っていたおかげで何をすればうまくいくのかが大体わかる」
友人は自慢するわけでもなくのんびりと答えた。

もしかしたら運は”偶然舞い降りてくる幸運”だけではないのかもしれないと思った。
嗅覚が友人のように優れており、自分が今すれば良いことを本能的に気づき違和感を意識しなくても手に取ることができるような人間は、無意識の中で自分が進む道も判断をし続けているのだと思う。
その先には自分が進みたい未来がもちろん待っているわけだから周りの人と比較した時に
「あの人は進みたい場所に人並みの努力で行けて運がいい」
と言われるのだろう。

運は手繰り寄せることができるし上級者は意識しなくても気がついたら恵まれた場所の中に立っている。
周りの境遇を羨むのではなく自分の嗅覚を、感覚を、視界を育てていけばいいのだなあと思った。言うは易し。


「多肉植物が好きでさあ」
と言って見せてくれたコレクションがあまりにも素敵で、
友人の性格を目にみえる形にしたらこうなるなあ
と一人納得した。








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