マガジン

  • 日記

    これまでに書いた日記のまとめです

  • 映画感想文

    これまでに書いた映画感想文のまとめです

  • 読書感想文

    これまでに書いた読書感想文のまとめです

最近の記事

白米

”大潮の時は不調になっても大丈夫”という自分ルールを設けている。 海の高さがあんなに大胆に変わるんだから私の気分も浮き沈みが激しくて当然だからだ。 しかしながら今日は長潮。 長潮!!!! 最も干満が緩慢な日だ(つまらん)。 つまるところの気分が非常に芳しくないので困っている。 理由なんて結果の言い訳なので意味など持たない。たぶん。 主観を通した客観的に自分を眺めると、今の苦しみを楽しみたいような、敢えて悲しみに浸っていたいような、そんな行動をとっている。 最近の口癖は「

    • ある冬の日の日記

      変な日記を発掘したので無意味に投稿をしてみることにした。 ーーーーーーーーーー JOYFUL LOVE(日向坂46)が流れてきそうな虹色のベランダ付き無意味なデザインのマンションと、マンション敷地内のかつて掲示板だったただの鉄枠。 喫茶店の窓から意味のない日常を暇つぶしに眺めていると5分に一回くらい車が目の前を通り過ぎる。 暇なんてないのに、暇があるような錯覚に陥る。今日はいい日だ。 喫茶店に入ったら同じものしか頼まないので今日は店員さんが私の顔を見たらホットコーヒーを

      • 日記

        妹に”ぶるむ”と呼ばれている。 そんなことはどうでもよくて、妹からさっき電話があった。 「ぶるるん?あたい今日昼から試験があるんだけど全然やる気でなくって、やる気出させてぶるるん。」 ”ぶるるん”と呼ばれることもある。もっとかわいいニックネームが良かったなあ。 「今わいはコメダでお勉強している。あたいも頑張るから、チミも頑張るといいよ」 私が声をかけると、電話越しにハッと息を呑む音が聞こえた。 「あたいも頑張るぶるるん!」 冗談みたいな会話だけど、38秒の通話でお互

        • 初夏の風

          ”買い物は投票だ” と誰かがお金を渋る必要がない、良いものに使うことはむしろ美しいのだ、という号令を出してから私の財布の紐は緩くなった。 特に職人の手作り作品にはめっぽう弱い。 「このフライパン、僕がトンカンして作ったんです。一生物を届けたくて。」 「このマグカップ、私の中で結構出来が良くて気に入っているんです。この微妙に入っている模様も縄文土器を意識して入れてみたんです。」 「この塩壺はスプーンと本体で木の種類が違うんです。使いやすいようにと思って。コーティングも地球に優

        マガジン

        • 日記
          48本
        • 映画感想文
          6本
        • 読書感想文
          10本

        記事

          植物は地上部と同じくらい根が張る

          何年か前に、 「植物は地上と同じくらい根が張っているんだよ。」 と私の農業の師匠が教えてくれた。 大抵の植物は地上部の目に見えている大きさの分だけ根っこが張っているらしい、想像すると面白い。 大木は地下でも悠々と根を張っている。 どんなに小さな雑草でも体の大きさだけ根を伸ばし水を吸っている。 美しいな、と思った。 高校2年生の時に「幸せを運ぶ樹」でお馴染み、ガジュマルくんが教室にやってきた。 担任は皆に幸せが訪れてほしいから買ったんだとニコニコしていた。 持ち上がりクラス

          植物は地上部と同じくらい根が張る

          やる気が出る丁度いい褒め方

          個性が前提の話ですが、ちょうどいい具合に褒めてもらえるとやる気がメラメラ湧いてくるタイプの人間です。 そんなまやかしで調子に乗れるだなんておめでたいなあと思うけれどこれだけで絶好調になれるのならお安いものだと思うのです。 ただ、褒められすぎるとまるで調子が出なくなる。本望ではない。 自分の努力に紐づいた名誉に対しては「ホウ」と内心でニヤつきながら頷けるけど、 手放しに存在を評価されると、将来にまで期待をかけられるようで急に窮屈になる。 期待しないでくれ所詮この程度の人間な

          やる気が出る丁度いい褒め方

          人生のゴールって

          人生の最終目標、壮大なミッション、 あればかっこいいのだろうけど数十年後のことを明確にイメージすることができない。 60歳まで生きている自分を全く想像できない。今死んでも「ありがとうございました」って思える気がする。よく言えば今を生きている悪く言えば未来に無頓着、無責任。 生き方とか、自分の存在意義とか、無理に考えさせられて本物が生まれるものではないし、毎日生きる中で形を帯びていくものなのではないかなあと考えている。 天下統一とか、祖国を豊かにしたいとか、自分以外のことに

          人生のゴールって

          25歳、反抗期うっすら到来

          反抗期が生まれて今までこなかったことを密かに誇りに思っている自分がいた。 親を大きく傷つけていないことは喜ばしいことなのだと思っていた。 ただ反抗期の到来が遅れただけとはつゆ知らず。 今日、親戚から一通のメールが届いた。 「おばあちゃんが犬の散歩をしていて骨折しました。今入院中です。」 サアッと体から血の気が引いたのを感じた。 おばあちゃんは最近目に見えて衰えを感じていたし、記憶力も低下していた。 身の回りのことを自分でできなくなっていて、施設に入ったほうが良いだろうと言

          25歳、反抗期うっすら到来

          運と勘

          京都に引っ越してしばらく経って、 大学時代の友人が近所に住んでいることを思い出した。 植物が好きな友人だったので 「苔を探しに行こう」 という奇怪な誘いをしてみたところ、案の定快諾してくれた。 その友人はこれまで何かと運が良かった。 「あなたって本当にいつも運が良くて器用に力を入れずに生きているように見えてたよ」 そう伝えると 「自分も実はそう思っている」 と答えた。 友人は実家が農家で、幼い頃からお父さんと一緒に果樹を眺めてどう剪定をするかを習っていたという。 「自分は

          ゲームと本とそれから漫画

          “時間を溶かす” こんな経験が誰しもあると思う。 ゲームやネットサーフィンをしていて時間を溶かしてしまった時には罪悪感を感じるのに 本を読むだけで1日を終えてしまったとしても不思議と充足感がある。 これが漫画本になると、やや損をしてしまったような後悔に変わる。 “没頭して時間を溶かす” ということ自体には変わりないのにその媒体が変わるだけで後味が全然違う。 一体何がこの変化を生むのだろう。 今日は考えられる原因がいくつか思い浮かんだので書き残そうと思う。 *

          ゲームと本とそれから漫画

          日記

          「コロナの期間狂ったように人形を作っていましてね、これ私が全部作ったんですよ」 70代前後くらいの女性オーナーは初めて来たお客にも関わらず熱心に接客をしてくれた。 異国臭漂いまくりの人形が何体も飾られた店内。 なんか面白そうだなあと思って入った近所のカレー屋さんは面白いを通り越していた。 「やばいですよ!魂入っちゃってますよ!」 初対面だったけれど興奮が抑えられず店内をうろちょろさせてもらった。 お店の人は私が興味を持ったからか、昔のアルバムをガサゴソと漁り「40年以上前

          インド映画になる

          何はともあれ、愉快なダンスを踊っていれば脳が錯覚して楽しくて仕方のない気分になれるのだと自分自身で実証した。 引っ越しをして今までより広いお家に住み始めて、その空間を持て余した時に気がついた。 「ここはダンスホールなのね!」 去年買ったsoundcore3のスピーカーで好きな曲を流してみる。 試しにゆらゆらダンスホールで揺れる。 観客はいないので恥じらいはすぐに消えた。 クネクネおどる、適当に歌う。 Twitterでストレスで禿げてしまったオウムと一緒に人間が踊るとオウ

          インド映画になる

          列車の運行状況

          敷かれたレールの上を進むことに対してストレスを感じないように教育を受けてきた。 そうすると大きくなってもずっとどこかにレールが敷かれていると信じてしまい、そのレールの行先が全くの他者の利益しか生まずに自分にとって過酷な道のりだったとしても必死にそのレールにしがみつきたくなってしまう。 安全な選択を、と経験則から選ぶ道だが、それは香りを嗅ぎ分ける能力とハンドル機能が故障した列車の鈍行運行である。 列車自体の修理をせずに、進路を仮に変更したとしても行先が少し変わった程度で進み方

          列車の運行状況

          一人ぼっちのかくれんぼ

          知人の家に遊びに行き、楽しく遊んだ。 それから数日後、知人が大切にしていたマグカップが割れたことを知人本人からではなく、その友達越しに聞いた。 知人は相当に落ち込んでいるらしい。 私は焦った。多分割ったのは自分だろう。あの時は気が付かなかったけど確かにマグカップは使わせてもらったし運ぶときに一度壁にコツンとぶつけた。 あの時ヒビが入ったに違いない。 どうしよう、なんて謝ってもあの人の大切なマグカップは戻ってこないんだ。 それからまた数日後、知人とばったり会った。 「実はあの

          一人ぼっちのかくれんぼ

          ジャムおじさん

          何気ない日常の中で不意に肩の荷を誰かに下ろしてもらったり、逆に自分の愚かさをうっかり拾ったりすることってよくある。 昨日は仕事で依頼先の人と一緒に野外で作業をしていた。 昨日は本当によく晴れていた。 ついさっきまで冬はそこにいた気がするのに、昨日のお昼間は作業をしていると汗をかいて服を半袖に切りたくなるくらいだった。 任された任務を結果を出しやり遂げなければ、という重圧を自ら作っていたんだなと今振り返ると思う。 自分のペースを崩したくはないと思っていても会話の断片に焦りは出

          ジャムおじさん

          夢から醒めてしまった話

          「権威とは人間関係が作り上げた幻想だ」 と、最近読んだ小説に書いてあった。 その地位を認識した上で自然と人は傾聴するか否か判断している気がする。 夢を見ていることが悪いことではないし、そうやって人間界の規律は保たれてきたようなものだとも思っている。 しかしながら、社会に出て多くの人と出会い「〇〇さんもいつもおっしゃっているように私もそうしていくことを改めて徹底してまいります。」的な言葉をよく耳にするようになり辟易してしまった。 誰かを正解に祀りあげて自分の逃げ道を作っている

          夢から醒めてしまった話