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列車の運行状況

敷かれたレールの上を進むことに対してストレスを感じないように教育を受けてきた。
そうすると大きくなってもずっとどこかにレールが敷かれていると信じてしまい、そのレールの行先が全くの他者の利益しか生まずに自分にとって過酷な道のりだったとしても必死にそのレールにしがみつきたくなってしまう。
安全な選択を、と経験則から選ぶ道だが、それは香りを嗅ぎ分ける能力とハンドル機能が故障した列車の鈍行運行である。

列車自体の修理をせずに、進路を仮に変更したとしても行先が少し変わった程度で進み方には何も変化がないんだなあ、と最近修理を検討し始めた。

今までの人生の苦楽を共に味わってきた列車だ。この欠如でさえ、これまでの経験によって重ねてきたものだと思ってしまうから愛おしく感じる。
大部分の修繕を検討しているが、もしかしたら久しぶりにこの列車に乗ってくれる人が「今までと違って寂しいわ。」と言うのではないかとビクビクしている。

そうなるとよくわからなくなってくる。
オンボロ列車はこのままの方が本質的には幸せなのではなかろうか。
部品を一斉交換してエンジンも載せ替えて、耐久性もあげようと思っていたけれど何か違うような気がしてくる。
最初に掲げたレールにとらわれない走り方ってなんだったんだろうって思う。

そうやって選択を決めかねてレールの上を仕方なく走っていると、たまに自分の列車から降りて筋肉をつけながら自らの足でどこかへ走る青年や、列車を捨て最新のジェット機に乗り換えて思うがままに空を飛ぶ綺麗なお姉さんもいる。
彼らを横目に指を咥えながら、それでも追いつかなければと焦り列車を走らせる。


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