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激動の10月(前回の記事の続編)

父の脳梗塞の前に、家人の転勤が決まっていて、それを実家にいつ言おうかと考えあぐねていた。転勤先は宮津、ここから車で1時間。冬場は積雪がありもっとかかるため、家人は少々つらい。

しかしもっとつらいのは、何と、何十年と続いていた3交代勤務から一転、毎日勤に変わったこと~~~💧

これは、わが家にとっては一大事。お互いの負担を軽減するため、両親の通院付き添いのための帰省は特に、家人が勤務している日に重ねるようにしていたし、最も重要な、3日に1日私が完全に自由になれるという特権?がなくなったのだ~~~。家人も勤務日は仮眠が数時間のため、それ以外の日は睡眠不足を補うように過ごしていたし、このリズムでずっと生活してきたので、こんな年齢にしてかなり過酷。

先月の30日から新生活が開始。その直前の29日までに幸運にも両親が帰宅できたので、何とかぎりぎりで今度は家人のサポート開始。新規立ち上げの部署で、メンバー全員が何もかも手探りからスタートの状況。ふたを開けたら、毎朝通常よりも早く家を出発しなければならず、帰宅はひどく遅い。私は完全に朝昼晩と全個食になり、家人が家で用事を一切しなくていいように「内助の功(死語?)」を強化。家人は連日睡眠不足の中、仕事中ほとんど車の運転業務をして過ごしたようだ。

さて、そんな中、昨日は父の脳梗塞の原因だった心臓の検査のため、初めての病院へ。もちろん私も付き添った。家人の帰宅までに家へ戻りたかったので、日帰り。さすがにくたびれて、夕飯は久々に外食。昨日の夜、3連休がこんな気分なのかと、初めて暦通りの生活の感覚を持った。

父は、入院時からがくんと物覚えが悪くなり(それまでもいろいろ…)、新しいことは本当に覚えられなくなった。本人なりにメモを貼り付けたりしているけれど、その内容自体も間違っていたりする。聴力もかなりひどく、目の前で落とし物をしても気づかないし、心配し始めたらキリがない。父もいよいよ介護認定を受けるべく、そちらも動き出した。

仕事のパートナー様たちには、事情を説明して、しばらく仕事を部分的にしていただいたり、納期を伸ばしていただいたりと、協力を得られ本当にありがたかった。

私たちの世代は、そろそろ両親の世話が必要となるお年頃。それを痛感する毎日だ。

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