人(私)の人生で、自分の夢を見ないで(怒


だいぶ強い言葉だが、コレは自分が中学2年頃に
母親に向かって放った、最強の抵抗の言葉である。

心配性と言えば聞こえは良いが、なにをするにも
「大丈夫なの?ソレ。」
「コッチの方が、貴方らしいと思うのに…」
「そんな遠くの学校に、わざわざ行かなくても…」

と、一言目に必ず否定が入るのだ。

コレは面倒くさい。
それにやる気が削がれる。
自分なりに精一杯の説明と抵抗をすると
今度は一転、

「じゃあ、好きにすれば?
   やりたい様にやればいいじゃないの。」
となる。

応援するとか、見守るとか
ドラマの様な暖かい言葉は、返ってきたかなぁ…?

もう面倒なので、高校の入試先をどこにするか決める時期から、何事も事後報告となった。
「〇〇高校を受けることになったので、書類に記入しておいて」
のような感じだ。

大学も就職もその先も、ずっとそうやってきた。
二親健在だが、どうにも馬が合わないし、
どうしても近くに居させようとするのが
腑に落ちなかった。

隣の市の高校→そんな遠くにわざわざ…家の近くにもあるじゃない
県外の大学→そんなに遠いの?意味がわからないわ
県外に引越し→あなたは、ドンドン離れて行くのね
海外に住む→今どこに住んでるの?

自分(私)を、世間一般的な人生のレールに乗せようと必死だったのだろう。
就職に有利な学校に入れ、良き時期に結婚させ、
実家に程近いところに住まわせ、孫を見に来る。

だが、自分はこのレールからことごとく脱線しては、新しく線路の向きを変えるている。
悪いが、自分は好きな方にいかせてもらう。

親に感謝するとか、育ててもらったからとか
素直な良い子は口に出せて偉いなと思う。
真っ当な反抗期も無く、じっと考えて
心の中で収めることが多かった子ども時代を過ごしたので、素直に思えないのだ。
(『悟りオバケの子』をご参照ください)

世の中が物騒になり、日本と海外を行き来する様な生活が長くて、健康寿命があと何年か…などと考えていたら、もう自分の事で精一杯なのだ。

自分の周りの人には、勿論感謝しているし、助けが必要なら手を差し出すことは、なんら厭わない。


でも、私の人生を「こうした方が良いよ、コッチの方が良いよ」と聞こえの良いことを言いながら、
本当はその人の思惑の通りに操られるのは嫌なので、最後まで貫きたいと思っている。

「人の人生で、自分の夢を見ないで」