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コンピュータを邂逅する。

 初めてコンピュータなる機械に遭遇したのは、高校1年生の頃だ。中学時代に集積回路が販売され始め、高校時代にマイコンと呼ばれるチップができた。この頃初めて電子計算機なるネオン管で数字を表示する電車そろばんが発売された。確か高2の時マイコン自作キットが秋葉原のガレージメーカーから発売され通販で購入したのがコンピュータとの初めての出会いだった。何の目的で購入したかと言えば「スタートレック」というゲームをやりたかったからだ。基板むき出しの自作コンピュータにテレビ繋げてデータ保存はラジカセというシステム 当然言語はマシン語で気が遠くなる入力、エラーとの戦い、果てしないデバック 数ヶ月の血の出るような努力の末にプログラムが走った歓喜、今の人には解らないだろうな。

高校卒業する頃、NECからPC8001パーソナルコンピュータ16万8千円が発売され進学で東京に引っ越した折にやはり秋葉原ラジオ会館でシャープ製モニタとセットで購入 これは、4ビットCPUで16Kbメモリー増設メモリ12800円を装着し32Kbという代物だった。暫くしてシャープから消しゴムキーのカセットテープ内蔵でOSから読み込むPCも発売された。確か、なんとか6800とか言うコンピュータだった様な気がする。以来、学校の勉強よりPCの勉強でした。必死にベーシック言語を勉強していた記憶があるのだが、なんのためにやっていたのか思い出せない。依然としてデータ保存にはラジカセで数KBのデータを読み込むのに数十分という時代だった。

次に鮮明に覚えているのはフロッピーディスクなる記憶装置の登場だ。最初はLPレコードと思える様なデカ黒い四角の下敷き風なものでラジカセ使っている者から見れば驚異のスピードであった。しばらくして5インチのフロッピーディスクが内蔵されたNECの8ビットPCを30万円で購入、ソフトウエアは自力入力が主で買うことなんか考えていなかった様な気がする。この頃になるとOSはMS -DOSとなり自身でプログラムを書くことからソフトを使いこなす時代となった。それでも何処からか製品ソフトのコピーが出回り、随分お世話になった。特にロータス123は表計算の概念が激変する程の衝撃のソフトでこれによって複雑な表計算はPCがマストになった。

時代は進み就職したが、当時はオフコンと呼ばれたコンピュータシステムがやっと一般的になってきた時代で、会社にはコンピュータルームなる専用部屋があった。また暫くすると、NECから伝説のPC98シリーズが発売され世の中は16ビットPCに進化してIBMかラップトップPCであるThinkPadも発売され当時で60万円と言う気が遠くなる価格だった。覚えているのは、98本体と専用モニター、ドットインパクトプリンターをセットで70数万円で購入したことだ。このローンは長かったので忘れられない。それでもこの頃の主流のストレージはミニフロッピー台内蔵タイプで左右の赤いランプが交互に点滅しているのがPCだった。この頃のPCは高額で特別な機械だった。

記憶が曖昧なのだが、98シリーズもかなり一般化した頃、ハードディスクなる新記憶装置がオフコンの世界で導入されだした。記憶が確かなら20MBのパーソナル用ハードディスクが60万円程で発売されたが庶民には関係ない世界だった。初めてハードディスクを購入したのはそれから数年後でミドリ電子の20MBタイプで20数万円、買ってはみたもののconfigsysの書き換えが難しく1週間格闘の末やっとHDをPCが認識できスーパー超高速の読み書きに腰を抜かす想いだった。

話は若干遡るが、ハードディスクが出回る少し前LANという言葉が雑誌によく出ていた。要はスタンドアローンのPCを繋げあって端末化することだって認識の域を出なかった為に後々の多様な可能性について全く理解できなかった。時代は進みついにマイクロソフトからwindowsがリリースされ一気にPCが一般化した気がする。この頃になるとパソコン通信が盛んになり他のPCと繋げて音声データでファイルをやり取りができる様になり情報が格段に増えていった。だがこの通信はとにかく電話代がバカにならない。つい気を抜いて使い込むと電話代が月数万円なんて当たり前だった。

さて、いよいよインターネットが登場する。最初に聞いたのは「全世界のPCを繋げるネットワークが凄いらしい」が最初の記憶だ。それは米国の軍事目的で作られたものであって戦争になった場合通信施設を攻撃されると無力化してしまうため通信網を細分化して物理的に切断ができない状態を作るネットワークと教えてもらった。このネットワークに入れば世界中のPCと繋がる凄いシステムだって事だった。

インターネットが日本に最初に普及しだしたのは、大学だったと思う。なにそれ大学がインターネットに接続したってのがニュースになっていた。パソコン通信の普及でNTTがISDNなる高速通信サービスを始めていて一般家庭でもPC好きにそれなりに普及していたこの時代、遂に一般ユーザー向けのインターネット接続サービスが都会から普及しだした。プロバイダーなる接続業者のサービス地域に入った瞬間に契約した。これは、声を大にして言っておきたいが、この時代にインターネットに繋げた人にしか解らないだろう特別な体験が忘れられない。隙間から風景を覗いていた人の視野が一気に果てしない水平線を見る様な衝撃的な出来事でしたね。しかし、この時代ISDN回線のスピードがまだまだ十分ではなくクリックして暫く待たないと表示できないレベルで砂時計マークを飽きずに見続ける日々でしたね。

PCの性能と同時にネット回線のスピードが取りざたされる時代になって、初めてだネット時代のOSであるwindows95が発売されると一気にPCが一般化し特別なスキルがある人が使っている機械から誰でも使う家電になってしまいました。この頃のオフィスでは、バカでかいブラウン管モニターが机の大部分を占領しても各自の机上にはPCが設備されており、当然ながらLANによって社内はネットワーク化されていました。さらに大幅に通信を高速化できる技術であるDSLが登場し、ISDNマックススピードが128Kb/sから25Mb/s程度倍増し砂時計はあまり登場しなくなりサクサクと言う言葉が似合うくらいの実用レベルになったのはDSLが普及した頃ですね。

そして、遂にグラスファイバーを使用し光による大容量超高速通信の光ファイバー通信が登場した。これも都会からインフラが整備され始め徐々に地方へと敷設された。最初の光ファイバーのスピードは理論値100Mb/sで実質はDSLより少しマシな程度だった様に記憶している。家庭でもwifiが一般的になりPCにLSNケーブルを差し込まなくてもネットに繋がる時代になった。テスクトップPCは激減し主流はノートPCとなった。この頃から携帯電話網を使用した無線通信サービスも始まった。この頃になると多くの人が携帯電話を所有する時代になったからだ。最初に申し込んだサービスは32Mb/s程度のスピードだったがサービスエリアの問題等があり、遅いし使いにくかったが、モバイルで使用できる利点もあった。外出時にノートPCで接続すれば便利だったのだ。

数年前から光は1000Mb/sと更に高速になり無線通信も劣らないスピードに進化しネットなのかHDなのか体感では判らない状態になりました。携帯電話は電話機能が付いた携帯型PCであるスマートフォンに変わり全世界で人が住む地域では大抵ネットに接続できる時代になった。子供の頃にウルトラ警備隊のテレビ電話を夢見ていた少年に同等以上の物が付与される時代になったのだ。

またこの頃からの大きな変化は、データのクラウド化でネットを介してデータをいつでもどこでも気軽に取り出せる様になりました。大切にバックアップを取りHDなどに保存していたデータは、まるで空中に漂いながら寄り添っている様な感じになりました。このクラウド化によって自分のデバイスでなくても自分のデスクトップや自分のデータに簡単にアクセスできる様になりました。昔では想像もつかない世界になったと思いますね。

先日、初めて買った時のHDのバイト単価で現在保有しているHDのバイト量を計算したら数百億円になりました。性能が倍になって価格は半額になると言うPCの方程式を身をもって体感してきました。思い返せば文章は読めるけどその意味が全く解らないコンピュータ用語との格闘の日々だった様にも感じます。今想うのは、コンピュータなる機械が登場し一般化していく歴史の中でPCの恐ろしいまでの進化とか、情報化されて行く社会を黎明期から体感し体験してきた事は天祐であったと思っている。現在スマホやPCは私にとって技術を自慢する特別なものから生鮮食料品と同じ認識に様変わりしている。最新機種も数年で腐ってしまう機械だからだ。

近い将来5Gが一般化した世界はどうなっているだろう?すでに40年以上の付き合いになるが、まだまだ面白い事が続きそうである。

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