日本の写真江戸時代

日本の身分制度 士農工商を考える

 江戸時代までの日本の身分制度は士農工商だった事は、日本人なら誰でも知っている事です。学校で教わる士農工商って一番偉い身分が武士で次に農民、職人、商人って順番だと習いましたよね。ここではこの身分制度について多くの人が知らない事を少し考えてみようと思います。

確かに身分で言えば、士農工商の順で正しいのですが、金持ちの順列で並べると全く逆で商工農士って順番だったと知っている人は少ないと思います。つまり、武士の場合は状況によっては切り捨て御免と言う様な権力が付与されている身分です。この権力を市民に認めさせるには武士自身が清廉潔白で嘘が無い人物でなければ信用されないんです。この信用に足るものとして、不正や嘘、あるいは結果的に責任問題になった時は命で購う究極の責任を背負って生きる人たちだからです。だから武士は人間として求められる正義を限り無く高めていったから民衆から尊敬される存在として統治が認められていたのです。

武士たちが金の亡者では誰も尊敬なんかしませんし、ましては統治なんてさせる訳ありません。武士にも身分がある訳ですが、当時の中堅武士の給料は現在の貨幣価値で1500万円から2000万円程度貰っていました。「なんだよ結構良い暮らしだろう」なんて思っている人もいると思いますが、その程度の身分になると家来を10人程度雇わないと身分にそぐいませんでした。年収2000万円で10人食わせる事を考えれば分かると思います。だから「武士は食わねど高楊枝」と言うやせ我慢があるのです。

対して商人や非人は自由度がかなりありました。商人は商品取引で基本的に金銭で生活している訳です。武士は石高による米での給料な訳で、金の様な不浄の行為で生活するのは汚れているとしていました。

特に非人と言われる人々は蔑まれて差別されて来た人々と学校で習う訳ですが、皮革製品や墓掘りなど最下級とされている仕事に従事していた訳ですが、実はこれらの仕事は専売で一般の人がこれらの仕事を行う事は出来ませんでした。つまり、家族が死んで墓に埋めたいとして、墓掘り代金20両と言われたら20両払わないとお墓を掘って埋葬出来ないって事ですし、太鼓の皮や三味線の皮が驚く様な価格であったとしても言い値な訳です。これを他の身分の人が行う事はご法度ですから、完全な専売権を保証されていたからこの様な事が可能だったのです。

記録によれば大都市であった江戸の吉原で最も豪勢に遊ぶのは、この人たちだったと何かで読んだことがあります。確かに身分制度は民主主義に反する制度ではありますが、権力と財力を反比例させたこの方法は、ある意味深い納得ができる日本的な制度だと思っています。

身分が高い故に大きな責任を背負い大きな権力を行使できる代わりに不正を一切行えない命がけの武士 身分が低く蔑まれるが金を持てる商人たちどこかバランスが取れている様に思えるのは私だけでしょうか?持ちつ持たれつってのはこの事の様な気がします。

明治維新が起こり西洋文化が入って来た時、武士階級の異次元とも言える人格の高さはこの様な背景からこそと思っています。開国当時の世界は、民主主義と共産的左翼思想が全盛期でしたので、有能な役人はこぞって当時の西洋思想を取り入れた事が、今日まで続く左翼的官僚機構となってるのではと思っています。

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