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夢に生きる

はじめに:研究者という仕事

私は現在、博士課程に在籍している大学院生である。学位取得後は研究者として自立していくことを念頭に置き、日々研究活動に勤しんでいる。今どき、日本で博士課程に進学する学生は少なく、研究者になりたいという確固たる意志がないとやっていけない世界な気がする。なんせ、普通に就職したほうが稼ぎはいいし、就活も日本では学士か修士卒の方が間口が広いであろうと思う。

しかも若手研究者は稼ぎが少ない割には多忙である。私のような査読付き論文が数本出たばかりの若手ですら、一日にやり取りするメールは数十件に昇る。実験は時間のかかるものだから週末でも祝日でも必要に迫られればいつでも研究室に出向く。24時間、365日臨戦態勢なのである。実験の成果を論文にまとめるわけだが、論文に載せられるだけの価値のある実験結果を出すまでには膨大な労力を要する。いわば、一つの成果の下には100の失敗や苦慮があるといった感じである。一握りの成功をつかむために、100本以上の文献を調査し、数か月にわたり予備実験をし、実験系を組み立て、実験の再現性や統計的有意性も確かめる必要がある。

そして実験に必要な資金を調達するため、方々に研究費の申請書を送ることも研究者の仕事である。とはいえ、申請書を送ったところで必ずしも採用されるわけではなく、3割バッターになれれば万歳なのである。幸運にも研究資金が手に入ったのなら、それに見合った実績を残さなければならない。さもなければ資金の供給は途絶えてしまう。

と、あたかも私が研究者としていかに苦労しているのか、といった書きぶりだが、実のところ私はこれまで研究活動の中で苦しい、辛いと思ったことは一度もない。これからもないことを願っている。傍から見ると大変そうに思えることかもしれないが、当人はこの困難を心から楽しんでいる。なぜなら私は夢に生きているのだから。

なぜ研究者を志したのか

思い返してみると、初めて研究者という職業を意識したのは、高校生の時に理論物理学者の村山斉教授の本を読んだ時であった。元々、宇宙や数学の話に興味があったりしたので、何となく面白そうな仕事だと思った程度ではあったが、その時から研究者になる気はあったのかもしれない。その後、そんな青々とした夢はバンド活動に明け暮れる日々の中で風に吹かれて消えてゆき、なんやかんやあって大学では機械工学を専攻した。

大学入学から一年たったころ、私という人間について真剣に考えた。そして私がこうして大学で学問に向き合うことができるのは幸せなことだと思った。というのは、私がたまたまそれなりに稼ぎのある家庭に生まれて、普通に教育を受ける人生を享受し、私の自由を両親が黙認していたというだけのことだと思う。それがたとえ偶然であったとしても、運命とは繊細なものだと思う。これまでの人生の何か一つの出来事でも違えば、今とは違う価値観で人生を歩んでいたのだと思う。不自由なく教育を受けるという幸運を私は手にしているが、世の中には学びたくても学べない人が多くいる。ならば学問を修める私の役割は学んだことの成果を社会に還元することなのではないだろうか。そうして私が注目したのは水に関する問題だった。ー世界中のすべての人々が平等に安全な水を使えて、衛生的な下水設備が整った環境を実現したいーこれが私の考えた私の社会への貢献の仕方だった。

そして水質や水処理について学ぶために、私は修士課程進学時に専攻を環境工学へと変えたのだが、この時はまだ研究者になる決意はしていなかった。確固たる意志を持ったのは、修士課程在籍時にたまたま聴講したフランス人数学者のCédric Villani教授の講義がきっかけだった。Villani教授は自身の数学者としての歩みを表現豊かに、そして熱意にあふれながら話されていた。いろんな人との出会い、数学者として世界中で学会発表や講演会をしたこと、研究成果が得られないときのもどかしさ、しかしそれらの感情は全て研究への熱意に変わること、、、それは23歳だった私に研究者としての夢と希望を与えるには十分なものであった。そして私も講義の終わるころには、研究者として水問題の改善に貢献することを志した。

夢に生きる

こうして私は博士課程に進学し、環境工学の研究者としての第一歩を踏み出した。研究者というのは学問のプロのような存在である。大学に入った者なら誰もが一度は書くであろう”卒業論文”をより高度に、より専門的に、より長期的・波及的に行うのが職業として研究をするものの在り方だと思う。卒論を書くのに苦労した方にとっては「そんな棘の道に進まんと、就職すればよいものを…」と思われるかもしれない。実際そちらの方が現実的な生き方だと思う。だが、私にとってはまっとうに就職する生き方の方が苦痛に感じる気がする。

今の私は自由な立場にある。研究計画を自分の責任で立てているため、好きな時に研究室に来て、好きな時に休みを取っている。ゴールデンウイーク中は毎日、実験したが、その後の火曜日は休んだ。連休明けの平日は新宿ですら人手がまばらなので、そちらの方が好みである。そして学会発表を通じて世界中の同業者と相互に批判しあうことが研究の本質なので、ある意味では世界中を旅することも私の仕事である。今秋には台湾に行き、来年はスペインに行く予定である。ちなみに航空費、宿泊費などは公費で賄えるので実質無料で海外に行ける。

自由に生きるにはそれ相応の責任が伴う。普段何をしててもよいが、結果は残さなければいけない。結果を残すためには常に最良のパフォーマンスができるように整えておかなければならない。私にとっては、自由に生きることが高いパフォーマンスを発揮する最良の方法だと思っている。人間はもろいもので、ふとした時に調子が良くなるが、ちょっとしたことで調子が下向くこともある。ならばできるときに最大限のことをしようというのが私のやり方である。そのためには週末も祝日も関係あるまい。どんな生活を送っていようとー下腹部にタトゥーを入れようが、下唇にピアスを開けようがー本質を見失うことがなければ問題ない。

そして自由に好きなことをやって生きたいのなら、それに値するだけの努力を重ねる必要がある。労せずに得られるものは何もない。己を省みずに境遇に不満を述べる者に幸運の女神は微笑まない。己に潜む可能性を信じて鍛錬に励む者こそ未来を切り拓く力を手にする。

まだ研究者として駆け出しの私には本当の苦悩が訪れていないものだと思う。だがどんな困難でも乗り越えられると信じている。なぜなら、これは私が決めた人生の在り方であるから。そして私は夢に向かって生きているのだから。

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