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そうだ!バブル期のことを書こう!

日経平均株価が39,000円を超えた…最高値更新は34年ぶり?なんだってね。34年前ってまさに「バブル景気」の真っただ中。わたしは20代、社会に出て数年は世の中が「イケイケ!」で「ギラギラ」していた気がする…今回はその頃のことで記憶に残っていることを列挙してみようと思います。

■マハラジャ★

今でもたまに資料映像的に流れる東京のソレとは規模が違うけど、地方にもディスコがあったのよ。入口に黒服の背が高いイケメンがいてさ、まずは「服装チェック」がある…ジーンズとかカジュアルな服装だと入れてもらえないので、手持ちの一張羅を着てお店に向かうわけですよ(笑)そういえば、ヨレヨレのスーツのおじさんが入店拒否されてた現場を目撃したこともあったわ。
中はめちゃくちゃなボリュームで音楽が流れ、一応「お立ち台」もあった…わたし、あの上で踊っている人を見たことはないなぁ(;^_^A奥にはゴージャスなソファがあるVIPルーム。踊るというよりは、友達や先輩と雰囲気で「行っとく?」みたいなノリで行っていた気がする。そういえば「ビジーフォー」が来たこともあった。グッチ裕三さんやモト冬樹さんがいた「ものまね四天王」のグループ。いつも以上に大入りで盛り上がってたわぁ…
同時期に「ケントス」もありました、オールディーズなので少し年齢層は高かったけど、生バンドでみんなノリノリで踊っていたような記憶…

マハラジャがあった場所…建物の地下なんだけどね、今は入れない場所になっているみたい…

■繁華街で夜 タクシーがつかまらない問題

今と違って、あの時代はタクシーの台数が多かった。流しのタクシーも簡単につかまったし…昼間の電話で「30分かかります」なんてありえない時代…。なのに…なのにですよ。特に金曜日(花金=花の金曜日の略語(笑))の夜、繁華街はタクシー難民であふれるわけですよ。地方でも夜の人出が「今日お祭りかなんか?」って思うぐらい賑やかだったなぁ…
携帯電話、今みたいに普及していないからさ、携帯でなじみの個人タクシーの人に電話して「あの、今から来れる?」みたいなおじさんがキャーキャーされちゃってたなぁ…(笑)そうそう、接待で飲み会セッティングの時は、終了予定時間に招待者の人数分のタクシー予約が必須だったわぁ…余談だけど、接待など仕事の飲み会の時は、上司から「タクシー券」をもらい、帰りのタクシー代は会社持ちっていう、今じゃ信じられないような制度もあった(^_-)-☆

■ただ…仕事も結構大変だった…よ(笑)

仕事もイケイケじゃないけど、フル回転だったような気がする。仕事終わって建物を出たら、ジャストタイムでクリスマス恒例のイルミネーションが消灯…(涙)なんてことがあったり…出張が多くて休みが取れないとか、接待飲み会の後会社に戻って資料作成とか…なんか…自分で書いててなんだけど、今じゃ信じられない(笑)そういえば、その頃は毎日会議やらチェック事項がたくさんあって「A5サイズの革張りのシステム手帳(しかも1日1ページ)」使ってたなぁ…重かった…※その手帳カバーは東京出張の際に銀座の「ITOYA」で購入したもの、かなり気張って買ったので使ってないけどまだ捨てられない…バブルの残り香?(笑)

バブルがはじけたのは30代。一般人のわたしには特に大きな影響はなかったけど、バブルの恩恵をいっぱい受けていた人はいろんな不都合があったかもしれない…あのバブル時代を体感したから、今のわたしがあるのかもと思うこともある…「バブル女子」なんて言葉もあるみたいだし(^_-)-☆

そんなこんな書いてきて思い出したことがあるの。わたしが20代の頃の仕事の現場で起きていたいろんなこと。男女雇用機会均等法ができたけど「お茶くみやコピーは女性の仕事」とか「大事な仕事は男性で」とか…そういう風潮の時代…わたし個人の経験だけど、近いうちにまとめて書こうかなと思います。


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