とある宗教の親に育てられた自らの半生⑥

更新がほぼ止まってしまっていた。 

これはわかる人にはわかって下さるとは思うが、2023年、年が明けてわたしを取り巻く環境は大きく変わった。

2月の末日、エホバの証人問題支援弁護団が会見を開き、世の中のトップニュースとして宗教2世の問題が大きく取り上げられることになったのだ。
しかも、この何でもないわたしが、当事者として発信させてもらえる機会を与えられた。

連日のようにこの問題が取り上げられ、一般の人々にも社会問題として注目してもらえるようになった。
それから約1か月半。統一地方選挙の影響もあって、少し鳴りを潜めてきている感はあるけれども、当事者の方々にとっては何一つ問題は解決されていないわけで。
ここで発信をやめてしまっては何も前に進めない。
しかもいくらテレビや新聞で取り上げられたとしても、放映される部分はインタビューされた内容の、ほんのごく一部である。
本当に伝えたいことはやはりこうして自らの体験として記録として残しておくのは、極めて重要なことではないかと思い始めた。

前回のこのテーマで記述したのは去年の12月だった。この続きから今回は書いていこうと思う。

わたしは、中学1年の時にバプテスマを受けた。これはエホバの証人の正式な信者になったということだ。
週に3回ほど行われる集会に加えて、年に数回、大会と呼ばれる大きなイベントがあるいうことは前述したとおりであるが、大会にも種類があるのだ。
分かりやすく企業で例えると、地元の一番身近で自らが属する店舗を会衆と呼ぶ。そしてこの会衆は、巡回区と呼ばれるエリアごとに分別されている。

その巡回区をまとめるエリアマネージャーのような人を、巡回監督と呼ぶ。
たとえば、東京第一会衆という会衆が自分の属する会衆だとして、第一から第五までを一つの巡回区とする。
通常週3回の集会は、この東京第一会衆に属する人のみが集まる場所に自分も参加するわけだが、この第一会衆から第五会衆までのエホバの証人全員が集う大会があるのだ。

これを巡回大会と呼んでいた。これが確か年に2回ほどあった。
そして夏には恒例の、この巡回区がいくつも集まって合同に会する、地域大会と呼ばれるものがあった。
この地域区の頂点にいるのが、地域監督だ。
わたしがいた会衆が参加する地域大会は、毎年幕張メッセで行われていた。

あの独特の灰色の柱、どことなく無機質な幾つもに交差する鉄の棒の天井、なんとなく冷めた感じがしてわたしはあまり好きではなかった。どちらかというと、巡回大会の方が好きだった。巡回大会はエホバの証人が自分たちで建設した大会ホールと呼ばれる施設で行われていた。
朝7時くらいに会場に着くと、プールのにおいがした。そしてコーヒーの匂いもした。実際のプログラムが始まるまで、会場に流れる賛美の歌のオーケストラのBGMがすごく心地よくて、わたしはあの時間がとても好きだった。
そしてわたしは、巡回大会でバプテスマを受けたのだ。

わたしには、8歳離れた兄がいた。
兄は10代のころはずっと母に反抗していた。どうしても集会に行きたくない兄を、母は無理やり連れて行こうとした。
テーブルにしがみつく兄。テーブルごと引っ張ろうとする母。わたしの目には今でもその光景が鮮明に焼き付いている。
高校生になってバイトを始めた兄。大会とバイトが重なりどうしても行かないと言い出した。いつものように無理やり連れて行こうとしたが、もう高校生になった兄の前では、力では母は勝てなった。
兄は母をボコボコにした。そしてバイトに出かけて行った。
兄も母も涙を流していた。兄は「なんでこんな家に生まれたんだ」と嘆いていた。
そんな兄は大学進学を真剣に目指していた。大学を出て、公務員を目指していたようだった。そして、一刻も早く家を出て自立したいと願っていた。
当時、エホバの証人社会において高等教育は否定されていた。ゆえに母は兄の大学進学を歓迎も応援もしなかった。むしろ、失敗することを毎日エホバに祈っていたというから誠に異常世界である。
1度大学受験に失敗した兄は、どうしてももう一度チャンスが欲しいということで一浪した。予備校にも行き、死に物狂いで勉強したのだろう。当時のわたしにはよくわからなかったが。それでも兄はまたしても大学受験に失敗した。失敗した直後の兄は抜け殻の様な状態になってしまっていた。初夏になるくらいまで落ち込んだ状態が続いたのだろうか。その間、一人の同じ会衆の兄弟がずっと兄を励まし続けた。そこで兄はエホバの証人に目覚めていったのだ。
そこから失われた時間を取り戻すかのように聖書を勉強し、バプテスマを受ける決意をした。その時が、わたしが中学1年の時だったのだ。エホバに目覚めた兄をわたしはうれしく思った。これでやっと母とも仲良くやっていける。そんな兄の姿に励まされるようになり、わたしも同時にバプテスマを受けたいという気持ちを抱くようになった。
兄弟同時でバプテスマを受けるなんて、こんな感動的なことはない。こんな感動を母に与えたい。その思いがわたしをバプテスマへと導いた。
きっと信仰とはちょっと違うものだった思う。それが今振り返って思う正直な気持ちである。



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