暑中雑記
8月も中旬に差し掛かろうとしてる。
夏のピークも過ぎただろうか。うだるような暑さからは逸脱したようにも思える。
2023年の後半はどんなものになるだろうか。
思えば今年の前半は怒涛の日々だった。それでもとても充実していたように思う。
noteの投稿はかなりさぼり気味になっているので、この辺で雑記かもしれないけど、今後やっていきたいことなんかを書いておこうと思う。
まずは仕事ですかね。10月以降はかなり忙しくなりそう。幸い自分の今の現場は人員的にも収支的にも安定しているけれど、会社全体としては慢性的な人員不足が続いている。
ついにわたしの現場からも人が取られていきそうな気配が濃厚になってきている。
仕事の安定が得られないとなると、生活すべてのバランスが崩れる。それでも仕事をして収入を得ていかなければ家族を養えないわけで、世のお父さんたちは大変である。
もちろんお母さんも大変だけれども。大黒柱の仕事が安定していなければ、家族と過ごす時間も得られないし、そこから少しずつ不満や溝が拡がって、
いつの間にか修復不可能になることだってある。かといってそれなりにお金もなければ、それはそれで不和を呼ぶだろう。
普通に生きるってなかなかハードル高い。普通に生きられる人ほど、実は幸福に一番近い人なのかもしれない。
自分にとっては仕事のウェイトを重くしてしまうと、家族との時間もそうだけど、音楽に割く時間もなくなることを意味する。
もうすでにたくさんの人がかかわっている自分の音楽活動。自分一人で活動しているなら続けるもやめるも自分の匙加減だとは思うけども、
バンドとして動いている以上、極力メンバーに迷惑や心配をかけたくない。今までと変わらないペースで、状況の変化を感じ取られないくらいがちょうど理想である。
そうならないためになんとか現場の力を上げて、今よりも少人数でもやりくりしていけるように。スマートに運営できるようにしていかなければ。
息子は9月から幼稚園に通いだす。コロナ元年に生まれたあの子が幼稚園だなんて。時が経つのは本当に早い。年々そう感じる。なにかこの感覚って名前がついていたんだっけ?
息子の髪を切るのがわたしの役目になってきている。前回はツーブロックを初めて手掛けたけど、我ながらうまく切れたと思う。なのに昨日は調子に乗って前髪を切りすぎてしまった。
昭和初期の子供みたいでモノクロで写真を撮ったらかなりリアルに撮れるだろう。それにしてもうちの息子は、髪を切っている間は本当におとなしくしてくれている。
タブレットでYouTubeを見せておけば何分でも椅子に座っていてくれる。それなのに歯磨きは絶対にパパにやらせてくれない。これが本当に謎である。
そろそろなにか音楽をやらせたいな。環境的には家では常に音楽が流れているし、父が楽器を演奏している姿も目にしている。だからなのかリズムに乗るのがすでに好きなようである。
最近は歌うことも好きみたいで、これがなかなか音程が正確。この素質は存分に生かしていきたいと父は思っている。
そんな息子が幼稚園に通いだしたら、自分としても曲作りを活性化させたいとひそかに思っている。恥ずかしいことに今年はまだ1曲も生み出せていない。
アイデアは頭の中に数曲はあっても、それを形にする時間と気力が沸いてこない。携帯の音声メモにアイデアが溜まっていく一方である。
なんとか今年中に最低2曲くらいは形にしたいというのが目標。
それと意外と反響をいただいた、お料理教室&ミニライブ。なんとか形にしたいと模索中である。
こんなわたしのそういう企画に反応してくださる方がいるのは本当にありがたいことである。
そうそう最新情報だけど、わたしが歌い手として働かせていただいてるBarでもわたしの手料理が提供されるかもしれない。
お世話になっている人たちに手料理を振舞う機会なんて、そうそうないからお客さんを呼べる口実としておおいに活用したい企画である。
今年ももうワンクオーターで終わってしまう。
一年一年が最高の年になるように、前向きにゆっくり焦らず、歩いて行こう。
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