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DAOKOが変える日本のシステム

発売からしばらく経つが、DAOKOのトリプルAサイドシングル『もしも僕らがGAMEの主役で / ダイスキ with TeddyLoid / BANG!』を1日に3回は聴いている。

MVと同時に先行公開された「BANG!」から、もうすでに彼女の仕掛けるポップマジックに心酔してしまった。80年代のディスコチューンをサバイヴし、キュートな声を活かしたフックやネタを曲に落とし込んだDAOKO。実はこの時点で、彼女が現行のポップス文化に対して何か大きな楔を打とうとしていることが、そのアプローチから見て伺える。

まず、多くの音楽におけるルーツミュージックを見事に昇華し、気をてらうことなく自己の解釈で引用している点だ。そんな「BANG!」を聴いて真っ先に想像するのはハンドクラップが特徴でもあるTaylor SwiftShake It Off 」。

DAOKOとTayler Swift。一見、陰と陽の関係に見える音楽性は、自身の役割を受け入れてからそのミュージシャンスタイルを覚醒した点で非常に類似している。それぞれヒップホップ、カントリーという出自がありながら、アイドルと同列に受け取られることに少なからずコンプレックスを感じていた境遇に対し、2人は見事なまでにポジティブでいる。

オマージュという観点でもう一歩踏み込むとBritney SpearsToxic」も「BANG!」を特殊なポップスたらしめるインスピレーションの1つだと言える。

曲構成は従来のJ-POPをそのまま引用しているが、決して下品にはならず、むしろピチカートやギターのエディットを随所に仕込むことで上品さすら漂っている。さらに2サビ終わりでそのままなだれ込む危ういヴァースは、RIP SLYME「熱帯夜」におけるPファンクを下地に置くフォーマットを当てはめ、3サビに向けるキメをここで一旦リセットさせている。これが曲をヘビロテさせるツボで、いわゆるスルメ効果を生むメソッドの1つでもあるのだ。

でも、こんなネタ満載の曲がラブソングであること。それ自体が最もポップなことであると、改めてここに記しておこう。


インディーズ盤から彼女を追いかけてきた身として、ポップに振り切った今回のシングルを、同じく古くから追いかけているであろう他のリスナーが、一体どう捉えているか気になるところではある。素顔を見せず、どこか影があり、インディーであることで鋭利さが増すDAOKOの音楽。いやいや、彼女が保っているヒップホップ、ひいてはラップに対してのスタンスは常に一貫してポップであることで、それは時間や時代とともに変化していくことと同義であると自分は考えている。

彼女のポップネス精神はシングルの頭に置かれた「もしも僕らがGAMEの主役で」でも明確に表現されている。

4〜8ビットの世界がネット上にチップチューンを生み、限られたトラックで制作されたかつてのゲームミュージックは、2016年の現在、Flying LotusFranc Oceanを音楽に引き込んだ重要なカルチャーとして参照されている。ドットで描かれたRPGを進む主人公は、ボタンや十字キーで操られながらも定められたゴールに向かい、選択を繰り返していく。彼女が紡ぐ言葉には常に死や生に対する人間くさい言葉が散りばめられ、そして集約されている。だからこそ、Dragon AshGrateful Days」でZeebraが放ったパンチラインをDAOKOは「死にたい奴は大体友達」と歌ったのだ、絶望から逆説的に希望を映し出す手法、それもDAOKOのポップミュージックにおける裏テーマの1つであり、ポップに仕上げる隠し味でもあるのだ。


未来を楽しむため、いつの時代でも先頭に立つべき存在が若者だ。昨今のレコードブームやライブ産業の多くが、経済力の優劣によって多くの若者の体験を邪魔しているのも事実。ジャンルを作るのは音楽を聴く人の勝手だが、それがファッションやビジュアルとクロスし、カルチャーとして根付くには、いかに若い人がそれらに興味を持つかにかかっている。

メタルとエレクトロニカを融合させたビッグビートを特徴とするTeddyLoidと組んだ「ダイスキ with TeddyLoid」は、この2016年に若者の永遠のテーマである”厨二病”的な側面を持つ曲にも見える。HAL東京のCMソングとして発信された背景も合わさり、改めてDAOKOは未来を生む若者に向け、エッジの立った言葉を投げかけ、ウダウダする暇などないと鼓舞している。

残る1曲「FASHION」も侮ってはいけない。いや、むしろここまで話してきた3曲のギミックを盛り込みながら、ファッションをテーマに切れ味よく世相をぶった切っているその絶妙なさじ加減に、思わず唸ってしまったぐらいだ。3曲分の仕掛けがあるにも関わらず、このシングルでは最もシンプルかつスタンダードな曲として聴こえてくる。それはこの作品がパッケージとして非常に優秀なプランニングがなされているからで、DAOKO含め、チーム全体でどれだけシングルがアーティストにとってトライアルな表現の場であるかをよく理解しているという証でもある。


なぜ、DAOKOはここまで振り切れたのか。

それを総括する上で重要な人物と曲がある。

2015年、紅白歌合戦に出場し、コアな音楽通からYoutubeで音楽を聴くライトな層までに受け入れられ、J-POPという広義な土俵でも一躍スターとなった音楽家:星野源の存在。そしてお茶の間からフェスまでを湧かせた彼の代表曲「SUN」による”ポップスの意識改革”こそが、DAOKOに変還をもたらした要因である。

元々彼のファンであると公言していたDAOKOだが、アーティスト写真やMVに見るキャッチーで記号的な参照などは、星野源の発するイエローミュージックの思想と呼応しているように見える。ただ、それが真似や引用、オマージュとも違うのは、やはりDAOKOがラッパーで、ヒップホップに絶対的な重心を置いているからだと思う。

チャートや再生回数を蔑ろにして追及したポップスがアンダーグラウンドと称され、神格化、もしくはカリスマ化する時代は、今現在どこにもない。小手先だけの専門性も見抜かれるし、安易なトレンドへの接近はSNSを中心にとにかく叩かれる。ラッパーとしてメジャーを意識しながら、星野源を手本とする独自のポップスを志向する途中経過として、このトリプルAサイドがリリースされたことは彼女の音楽人生においても、女性ラッパーのカテゴリにしても、大きな意義のあるトピックといえる。

常に変化を楽しみ、他のカルチャーと積極的にリンクしていく今のDAOKOの音楽スタイルがさらに勢いを増せば、自ずと日本の音楽は既存のシステムを捨て、新陳代謝を繰り返す身体を手にできるだろう。なので彼女にはこのまま、いや、もっと色々な要素と遊んでいってほしい。

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