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バーンアウト。そして新しい生活(2018~現在)

その頃のわたしは色々なもやもやを抱えて仕事をしていた。

任される業務がいつまでもライティングだけで、新しい仕事を任せてもらえないこと。

アルバイトから契約社員にステップアップしたが、時給制から月給制へ変わったことでかえって給料が下がったこと。

そしてオーバーワーク。

以前はノルマを自分で設定して自分でこなしていたが、この時から上が決めたノルマに従って仕事をするようになった。

毎日数字に追われて遅くまで残業した。するとどんどん精神が追い込まれていった。終いにはノルマがこの世のすべてで、数字のためなら不正だろうが犯罪だろうができる。そんな考えが浮かぶほどになっていた。

2018年の夏。わたしは会社に行けなくなった。

総務の人からはゆっくり休むといいと言われたので、わたしはその通りにした。

体調が良い時はSUPなどのレジャーをして過ごした。徐々にだが体調は良くなっている気がする。

会社を休職して8か月がたった。そろそろ復職の見込みが立ってきたのではないかということで、会社の産業医と面談を行った。

わたしは彼に「不安はあるが復職はしたい」と伝えた。

その次の週のことだった。わたしは近所のカフェで、総務の人から面談の結果を聞かされた。

結果は「現状では復職は見込めない」とのことだった。

わたしは内心で腐った。たった一度話しただけの産業医が、いったい自分の何をわかるというのだ。

続いて総務の人は「本来、会社の規定では休職期間は6か月までと決められている」ことを教えてくれた。知らなかった。すでに自分は「おまけ」をもらっている状態だったのだ。

最後に彼は

「会社側としては、いったん、体を治すことに専念したのが良いのではないかという結論になりました」と結んだ。

その発言の意味がすぐに理解できた。彼はわたしに自主退職を勧めているのだ。

あまりのショックに気を失いそうになった。なんとか自分には復職の意思があることを伝えたが、取りつく島もなかった。

やがて総務の人は席を立ち、わたしは一人残された。

呆然として家に帰ると、兄夫婦の飼っているトイプードルが遊びに来ていた。彼は「どうしたの」という顔でこちらを見つめてくる。

「俺、仕事クビになっちゃったよ」と彼に打ち明けると、初めて涙が出てきた。

どん底の気分だった。この三年間は一体なんだったのだろう。情熱の炎を燃やして燃やして燃やしつくして、ついには燃え殻になって、一体何が残ったのだろう。みじめで情けなくて、今すぐどこかへ消えてしまいたかった。

それでも自分には早急にやらなければならないことがあった。

次の日。わたしは昨日と同じカフェを訪れると、昨日の出来事なんて何もなかったかのようにして過ごした。

このカフェはお気に入りのお店だ。こうやって感情をリセットしないと、トラウマが発症してお店に行けなくなってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

わたしは確かにどん底に落ちたが、次の日には這い上がり始めていたのかもしれない。

後日、わたしは会社に顔を出し、社員一人一人に挨拶をした。まるで負け犬の挨拶周りだと、最低の気分だった。

しかしここで顔を出さない方がもっと負け犬だと思い、ぐっとこらえた。

オフィスにはわたしが作った陶芸のお皿やキャンドルなどの作品がたくさん飾られていたので、すべて袋に入れて持ち帰ることにした。すると買い物帰りのような格好になった。

退職に必要な資料を書いて総務の人に渡すと、両手に荷物を抱えて会社を去った。見送る人は誰もいなかった。

エッセイ「大人の遊びのずかん」


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