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流刑という名の遠回り

こう書いてしまうとその場で働いている人に失礼かもしれないが、一か月ほど本来働いている場所とは離れたところで仕事をしていた。

以前勤めていた会社には本社と支社があり、私は従事していた機能は支社に集約されていたので色々覚えるために支社に一時期行っていたのだった。

支社がとにかく遠かった。東京ディズニーランドの先であるといえば何となく遠さが分かっていただけるだろうか。とにかく遠かった。

本来なら本社からシャトルバスに乗って通勤してもよさそうなのだが片道のみ使うことを許された。私は帰りにシャトルバスに乗って帰ってくることを選択した。

支社は本社と違って時間の流れが本当にゆったりだった。ともかく本社に機能が集約されているため人がほぼいなかったのだ。来るのは研修か、私のように流刑に処された人間のみだったようだ。

その場にいた人々は本社の人たちと違って優しかった。人間的にとげが無いというか「忙しいことに毒されていない人達」といえば何となく理解してもらえるかもしれない。

分からないことは分からないといえば教えてくれたし、個人のパーテーションに区切られた机の上でどう仕事をしようが自由だった。

空いた時間に小説を書いたり、難しい仕事に関しては先輩に教えを請うたり、昼飯時は隣の巨大なイオンに行っておかずを適当に調達したり

流刑にしては楽しかったと思う。とはいえ流刑は流刑だ、楽しみが無いと発狂していただろう。私は本来帰りに使うバスの1本前のバスに乗り秘密裡に本社に戻り、最寄り駅に一番近いオフィスに籠って最後の1時間をやり過ごすのが好きだった。

MacBookを抱え高額バイトの歌が絶え間なく流れ続ける街のオフィスで過ごす最後の1時間が大好きだった。今思えばどこにいてもできる仕事だったのだから本社でも支社でもサテライトオフィスでもどこでも仕事できたじゃねぇかとか思ったが当時はそんなこと思いもしなかった。

上司からしたら部下の動きが見えていないなんてとんでもないなんて思われるかもしれない。だが当時そんなこと一言も言われなかった。私は割とどうでもいい存在だったんだろう。私も好きなことをさせてもらったと思っている。

ただ、対外的に見たら支社に飛ばされるということはそれはそれで「窓際族になること」だったらしく私としては結構戦々恐々としていた。私はこの会社に対して要らない人間だと宣言されているようなものだった。とはいえ所属は本社であることを強調されたし上司としてもマイナスイメージとしてとらえないように努力してくれたのかもしれない。

無事流刑が終わり色々ゆっくり考えることもできた。それが私を退職に導いたのは言うまでもない。

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