激鬱の時に聴く曲-エンヤ編-

今週は金曜に休みをもらったので祝日を合わせると4連休だ。とはいえ計画していたCostcoでの買い物や友人との夕食会は折からの緊急事態宣言によって全てキャンセルとなった。

空虚な4日間になるのではないかと恐れている。それだけで激しく鬱を引き起こすほど心が摩耗している。それもこれも在宅ワークのせいだと考えることにしている。

在宅ワーク中は顔が見えないことをいいことに会議や商談、電話以外は音楽を聴きながら仕事をすることにしている。でないと余計なことを考えてしまうから。ただただ時が過ぎるのを待つだけである。

自分の意志が働かない範囲のことは時間が解決するしかないと思っている。時間だけが人や動物、何もかもに対して平等に流れていくものだ

そこには誰の責任も、判断を求められる場面も、怒りも、憎しみも無い。ただただ時間が悠々と流れていくだけ…そう思わせてくれるのがエンヤのいいところだと思っている。

自己肯定感を伴った形で背中を押してくれる曲が多い気がしてならない。激しく落ち込み自己否定の鬼となる自分にとっては緩衝材としてちょうどいいし、何より静かなのがありがたい。耳は適度に休めなくてはならないから。

今までは怒りや激しさ、剥き出しの憎しみがそのまま出ている音楽を好んで聴いていた。その音楽に自分を乗せて心を上げていって物事を解決していった。

いつの間にかそういうスタイルが通用しなくなった。私より怒っている人や激しい人、強い憎悪を向けてくる人間たちが身の回りに増えたからだった。

私はこの怒りと憎しみの世界の中で小さくとるに足らない存在だと思うまで時間はかからなかった。全てが無力に、そして小さく見えてくるようになる。

解決してくれるのはもう時間だけになってしまった。時間すらも解決できないことが多いのは事実だが、時間が流れることにより解決に向かうことが年々増えた。

問題は自分の時間が圧倒的に足りないということである。人間の命には限界がある。

私は生き急ぐ必要がある。生と死の縁を上手く渡りその先にある美しくも醜い情景を見てみたい。

エンヤを聴くと心に灯る小さな生きるという火が少し大きくなったような気がする。「あなたはそれでいい。周りに合わせて頑張る必要はない」と言われているような気がして。

それはきっと私の錯覚だろう。ただ、見てみたい、昼が寝る瞬間、心が泣く瞬間、心がため息をつくところを。そのために生きているのかもしれない。

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