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激鬱の時に聴く曲-ビョーク編-

昨日の関東地方は暖かく花粉地獄であった。妻と一緒に出掛けていたのだが二人ともあまり体調がよくなく不機嫌だったため微妙な空気のまま帰宅した。

体調悪いなら家にいろよという感じではあるが妻は月一に来る機嫌悪いムーブメント、私はいつもの通り日曜に入った瞬間から月曜のことを考えてしまい二人とも激鬱だったというだけである。

そんな中でもしっかり生きていかなければならん(妻といると強くそう思うことが多いので助かっている)ということで別行動をとってみたりなるべく妻の希望を叶えてみたりしていた。それでも私は激鬱だった。

こういうときは一人の時間を持って音楽に逃げ込むのが一番である。鬱の時に聴く曲はいくつかあって大体アンビエント系かミニマルミュージックのどちらかなのだが、今回は丁度昨日聴いていたビョークの話をしようと思う。


ビョークといえば大メジャーアーティストなのでもう私が説明する必要なんてないとは思うがアイスランド出身の女性シンガーである。

元々興味はあまりなく何となく北欧ポップスだろうと思って自分の中でエンヤと同じカテゴリーに入れていた。

ただ、最近音楽に癒されるのも一つの手だと気が付いたので北欧系のアーティストに手を出してみようと思いガサッと買ってきてWalkmanに放り込んだ。

手に入れた盤が日本盤だったので歌詞対訳が付いていたので有難かった。歌詞を見て生命力と絶望感にあふれる言葉の数々に驚いたというのが正直な感想だった。

リンクを張った“ jóga“を聴くと何となくわかるんだが緊急事態に直面した人間が見せるギリギリの生命力の美しさや野性的なふるまい、果ては生々しい憎悪まで取り揃えているというのは珍しい。

歌詞による感情のぶつけ方はCoccoとか鬼束ちひろのそれに似ていなくもないが、怒りや憎悪、絶望感が強い日本のアーティストに対して圧倒的な奥行きを感じた。

恐らく「死」に裏打ちされた曲ではなく「生」に対して裏打ちされ、そこから出てきた絶望に対して語られた歌詞たちなのだろう。絶望の裏に太い血管をどくどくと流れる真っ赤な血を感じさせるような曲が多い印象を受ける。

人生を全うすることは辛く険しい、自分自身と真剣に向き合うことは残酷で難しいことだ。時として冷静に、時として感情的に対処しなければバランスを崩し生と死の淵から足を滑らせてしまう。

ビョークの、特に3rdアルバムである“Homogenic“は陰と陽を行ったり来たりするアルバムで聴いてて非常に心を揺さぶられる。反動で私は月曜をやっと生きられている、そんな気がしてならない

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