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アイスランド旅日誌 (8)


11月25日(4日目)
今回はマイクロバス ツアーに2回参加しましたが、これが2回目のものです。場所は Reikjevikレイキェヴィクの北にある半島で、ここも大自然を見ようというツアーです。Snaefellsnegスナエフェトルスネグ Penninsulaペニンシュラ(半島) 国立公園。1回目のマイクロバス ツアーでこの島の自然の厳しさには触れていますが、今回も同じくその厳しい表情を向けられて、怖い思いをしました。ホテルへのお迎えは前回と同じ、午前8時。今回のドライバー兼ガイドさんは、初老とも言える男性で、出身はこの島の北部だそうで、アイスランドの苛酷な自然を愛しているんだな、とよくわかる印象がありました。ツアーもガイドさんの解説によって、参加している人たちの視点が変わるものですから、この日のツアーはアイスランドの自然の荒々しい姿を見るにふさわしいものだったと思います。

10時20分、本線から外れた駐車場に入ると正面には海が見えます。そして遠景には険しい雪の山脈、振り返ると近景には冷風の中に点在する羊たち。僕たちは歩いて海辺の砂上に入りました。すると、そこにあったものは大きな鯨の骨。今年の5月頃に鯨が打ち上げられたものだそうですが、それがこうして骨になるまでに半年です。これは自然界の掟ですね。弱ったものは自然の力によってたおされ、斃れたものは腐敗し、あるいは生きていくものたちの餌となる。人間もまた大自然の中で生きていくについては、あるいは闘い、あるいは折り合いを見つけて共生していく、それは人類という種の問題と考えることもできるし、あるいは自分の生きる姿勢と考えることもできる、海岸に打ち上げられた鯨の骨、白い無機質の骨からそういうことを考えたものでした。

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しばらく海岸の砂の上を歩き回ってから、さらに先に進んで 11時、とある教会に着きました。平原の中に寒風が吹き荒び、そこに一つの教会。18世紀に建てられたもののその後に閉じられてしまいます。それを不服とした女性信者が再建に動きますが、教会本部はそれを拒絶、しかしデンマーク国王の許可を得て 1848年に建てられます。それでこの教会の扉には「この教会は神父の精神的支援を得ることなく建立されました」と書いてあるそうですが、これだけの強靭な精神があってこそ、こういう環境の中で生きていけることを象徴する歴史だと思います。

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11時40分には食堂に入ってランチ、やっぱり肉スープです。それからパン。

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そのランチを始めようという時になって、ガイドさんが話し始めました。
「実は車のエンジンが不調で、これから先は行けそうにない」
そんなこと言われたって、僕らにはどうしようもないし、と皆同じような反応をしている僕らに向かって彼は
「でも大丈夫、すでに代わりのバスを手配しています。皆さんにはそれが着くまで、ここで休憩していただきます」
ここはレストランとも言えないような、長いテーブルと粗末な椅子を並べただけの建物で、周囲の壁際には手作りの強度の土産物といったものが無造作にテーブルに並べられている、けれども特に買っていくようなものもありません。主に手編みの手袋やセーターなどに混じって

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こういうのがあって、まぁ面白いけれども要するに1枚の紙です。それにしては 1,600円とは高い。
Vordueヴォーデュというのは、人々が山や遠く離れた土地を行くときに迷うことがないように石を積み上げた、その石塔のことです。近頃では、人生の守護人というような人がいて道を迷うことがないようにしてくれています。そしていつか、あなたがその役割を担うことになるのかもしれません」
確かに。この凍てついた広原の思い出に、こういうのがあってもいいかも知れません。

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12時20分、まだ代車は来ない。時間を持て余したので外に出てみました。先の方にあるタワー風に見えるところまで歩いてみるといいですよ、とガイドさんは言う。しかしこの冷たい強風です、それを遮るものの何もない海辺の平原、急足でほんの5分間で行けるきょりではあるものの、凍えました。遠くの岬に見えた黒い塔は、着いてみたら人の形に組み上げた石塔でした。何か願いを込めて建てたものか、人を導く者になるためには過酷な中でも微塵も動じない力が必要だよ、と言っているような老人の石塔でした。

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それから下の写真、これはその海岸近くの奇岩です。奇岩もそうですが、ここで注目すべきは緑色です。これは草ではありません。苔なのです。草はとてもその激しい寒風に耐えることができないのでしょう、あるとすれば大地にべったりと生えた髪の毛のように地面を這っている紐のようなもので、色は枯れ草色。緑色は苔、これが岩や大地にびっしりとむしているのでした。(写真では穏やかに見えますが、こういう時も寒風が吹き荒んでいることを考えてみてくださいね。)

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そうこうしているうちに、代車のマイクロバスが到着、それですぐにスタートです。12時45分には海岸に到着しました、そこから歩いて奇岩を見る。全体に、海岸に連なっているのは奇岩ですが太古の時代には大地が激しく活動していたことが想像されます。そしてさらに後になってバスを降りた場所は火山の跡でした。もちろん今は活動はしていませんが、奇岩が連なる海岸とそのすぐ傍に火山。荒々しい大自然の傷の痕を目撃してきました。

午後1時15分、丘の上の駐車場に着きました。そこから急なトレイルを下り、ようやく平らになると、黒くて丸い石があちらこちらに転がっています。

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それが先に行くにつれて綺麗な玉のような黒石になり、やがてそれを敷き詰めたような海岸に出ました。海岸はもちろん奇岩です。そしてその繰り返し寄せる波。

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波は岩に突き当たり、砕かれて高くて白い波濤を空中に巻き上げます。それが収まるとすぐに次の波。カリフォルニアでも海岸は長く続いているのですが、そこに打ち寄せる波は大きく、言ってみれば緩慢な寄せ方をしているのに対して、アイスランドの波はもっと攻撃的な、呪うような波。近寄るものを寄せ付けない厳しさがあります。そう言えばこの日の朝に見た鯨の骨、浜に打ち上げられたあの鯨は荒々しい海とどういう闘いをしなければならなかったのか、その同じ海が自分たちの前で咆哮を挙げているのでした。

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さて次は、今日のツアーの見どころの一つです。午後2時半には Grundarfjartharbarグルンダファルサーバに着き、有名な写真を撮ることができました。これは本線を挟んで東側に岩山が威容を誇り、西側には滝があるという場所で、ここを歩き回るのですが、山は岩の層が山頂に行くに従って粗く波状に削られて、鋭く高くなっていくというもので登るのは多分無理じゃないかと思われます。

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滝の方へ歩いてみました。しばらく行って橋を渡り(その橋の左手に滝があります)やがて下に向かうトレイルがあります。これを下まで降りると滝を下から見ることになるのですが、さすがに下り坂は急でロープが張ってありました。僕はたかを括ってロープにつかまらず歩いていたのでしたが、途中で(おっと)転びそうになりました(あー、危なかった)。苦労して下った甲斐があって、そこからの写真も見事なものが撮れました。

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今回の旅行ではこの北海の果ての孤島を2回だけのバス ツアーで巡ったわけですが、はっきり言ってこの島は壊れているんじゃないか、というのが僕の印象です。綺麗事の感想を述べても、そんなものは「フフン」と鼻先で笑われてしまう、そういう厳しさがありました。北限の海にかろうじて突き出ている孤島、それが緩慢に、緩慢に引き裂かれている。いずれ北海の冷たい海水が侵入してきてこの島を破壊してしまうことになるだろうと思います。もちろんそれはこれから何千年も、何万年も先のことかもしれない。人類の文明がそこまで存続するものかどうか、それは時間の問題でしょうけれども、地球の運命はここに見ることができるような気がします。

さてホテルに帰って、夜の9時20分、レイキャヴィク最後の夜は、ホテルの部屋で過ごしました。直美の誕生日前夜の祝杯。アイスランドに到着した日に空港の免税店で、この夜のためにシャンパーニュを買っておいたのです。Veuve Cliquotヴェーヴ クリコ、これは(また別の機会に書こうと思いますが)直美のような女性にはぴったりのものだと僕は思っています。それはこの意味が「クリコ未亡人」だからというのではなく(僕はもう少しだけ長く生きるでしょうからね)、この女性が夫と始めたシャンパーニュ ハウスを苦労しながら経営し、さまざまな工夫をしながら売上を伸ばしていき、最後はそのビジネスを成功に導いたという強い女性だからです。そういう女性にあやかってのこの夜の祝杯。アイスランドまでやってきて、この厳しい寒さがこれからさらに厳しくなる、そういう時でも強く生きていく人たちがいる、そういう世界を見て心に刻むことがあり、そのアイスランドで最後の夜の乾杯でした。

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