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白い暴動/ザ・クラッシュ「黒人はやった。オレたちだってやれるはずだ!」街に燃えさかる若者たちの声


始まりはセックス・ピストルズでした。彼らのライブを見たジョー・ストラマーのその日のうちに自己のバンド101-ersを解散します。

「衝撃的だった。ヤツラはやりたいようにやり、しかもロックしている。こんなバンドは前代未聞だ!! オレはジョニー・ロットンに人生を変えられたってことだよ」

そして、ジョーはロンドンSSのミック・ジョーンズと、ポール・シムノン、トリー・クライムス、キース・レヴィン(のちにジョン・ライドンとPILを結成)の5人組で、ザ・クラッシュをスタートします。

ザ・クラッシュは、燃えるような情熱と怒りを持った若者たちの声でした。彼らは、労働者階級が故に職もなく希望もない自分たちの世代にとって意味のない音楽や社会に反抗し、新しいロックの可能性を切り開きました。

そんなセックス・ピストルズとクラッシュはイギリスの多くの貧困に苦しむ若者たちの支持を得て、旧態依然とした政治体制や、ハード・ロックやプログレッシブ・ロックを果敢に挑発して打倒していきました。

彼らのデビューシングル「白い暴動」は、街にあふれる暴力と不正義に対する叫びでした。彼らは、白人の若者たちに自分たちの力を信じて立ち上がるように呼びかけました。

この曲は、彼らのファーストアルバムにも収録されましたが、イギリスとアメリカでは違う顔を見せました。イギリス盤は、パンクの原点に忠実なサウンドで、彼らの生々しいエネルギーを伝えました。

「白い暴動」は、彼らのファーストアルバムにも収録されましたが、イギリス盤とアメリカ盤では収録曲が異なります。アメリカ盤では、シングル用に録音し直したバージョンが使われています。また、初回盤には7インチシングル「グルービー・タイムズ / ゲイツ・オブ・ザ・ウェスト」が同梱されていました。このアルバムは、パンク・ロックの歴史において重要な作品の一つとして評価されています。

そして、このアルバムは、パンク・ロックの革命的な作品として、今もなお多くの人々に影響を与えています。

彼らは1978年1月に解散したピストルズに代わって世界を代表するパンクバンドになり、その責任を一心に浴びることとなります。
その後、彼らは音楽性の幅を広げ、レゲエやロカビリーなどの要素を取り入れながら、社会的なメッセージを発信し続けました。

サードアルバムの2枚組「ロンド・コーリング」次の「サンディニィスタ」3枚組と次々と意欲作をリリース。
さらには「コンバット・ロック」をひっさげて、全米でも大成功を収めました。。。パンクロックがスタジアムクラスでも動員できるキッカケともなります。
リーバイスのCMでは、ビルボードでもヒットした、ドラマーのトッパー・ヒードンの書いた曲が使用されています。

しかし「反米愛国」などの曲を歌っていた彼らがアメリカでの成功を収めると、自国では裏切り者扱いされ、人気は下降していきます。

「カット・ザ・クラップ」というアルバムは不振に終わり、ミックは解雇され、結局バンドは解散を余儀なくされました。

時代は、ディスチャージ、エクスプロイテッド、GBHなどのハードコア・パンクへと若者の支持は移行していたのです。

なお、この間の1980年代初頭には初の来日公演も行われて、高校生だった筆者も参加しました。中野サンプラザなどの小規模でのライブでしたが、テレビ放送がNHKでも行われて大きな話題を呼んでいます。

当時のファンの見解では「ピストルズは過激すぎて付いて行けないが、クラッシュなら聴くことが出来る」「いや、クラッシュはストーンズの悪質なモノマネでパクリ」というニルヴァーナのカート・コバーンのような意見が対立していたのです。

ともあれ、彼らはロックの殿堂入りを本家ピストルズよりも早くに果たしており、これがジョン・ライドンを怒らせたとも言われています。


このライブ映像のメンバーを記しておきましょう。

ジョー・ストラマー ボーカル/ギター 
ガンガンにかき鳴らすギター。ガナるしわがれ声がポイント。そのハスキーボイスが悲壮感と激しさを産んでおり、また彼らのアクセントにも。子煩悩な父親で、後にポーグスにも参加しましたが病気で早逝しています。

ミック・ジョーンズ ボーカル/ギター
ハイトーンで、か細い声がスキ、キライの分かれるところ。
沢山の曲でリードボーカルを取っています。
ギターに関しては定評があり、ストーンズのキース・リチャーズは「オレはパンクが嫌いだが、クラッシュとミック・ジョーンズのギタープレイは好きだぜ」と評価されています。

ポール・シムノン ボーカル/ベース 
歌は音程外れ、ベースはド下手の素人でしたが、長身・金髪のイケメンということで、ピストルズのシド・ヴィシャスと共に二大イケメン・パンクヒーローとして本国でも認知されています。

ニッキー・トッパーヒードン ドラムス
二代目ドラマー。ドラムの名手であり、クラッシュで最もリズム感があるテクニシャン。機械的で的確なドラミング。とにかくバンドはドラマーで決まるというべき好例。彼の書いた曲が一番売れたと言うのもなんとも。。。

セックス・ピストルズがヴィヴィアン・ウェストウッド(セディショナリーズ)の服を着ていたのに対して、彼らはBOYの服を好んでいました。

活動中期からは英国人らしく、スーツを着る機会が増えていきます。
その着こなしがとてもダンディーでしたから「暗い知性を感じる俳優みたいな男たち」とも評されていました。。。

彼らには名曲が多すぎるので、それはまたの機会に。

最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉

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