見出し画像

佐賀講演旅行と幕末の薩摩藩 【歴史奉行通信】第三十九号

<伊東潤メルマガ「歴史奉行通信」無料登録はこちらから>

こんばんは。

いよいよ新年度です。
このメルマガをお読みの皆様の中にも、
新たな気持ちで
新たなステージに立たれた方も
いらっしゃると思います。

今夜も伊東潤メールマガジン
「歴史奉行通信」第三十九号を
お届けいたします。

〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓

1. 新年度にあたってのアドバイス
 「最初が肝心」

2. 大盛況の佐賀講演と名所めぐり

3.「薩摩藩の幕末と島津斉彬」

4. 伊東潤 Q&Aコーナー / 重大発表?

5. お知らせ奉行通信

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 新年度にあたってのアドバイス
「最初が肝心」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

新年度にあたって
一言だけアドバイスさせていただくと、
何事も「最初が肝心」です。

最初の印象は後々まで残ります。
最初だけでも緊張感を持って
臨んで下さい。

私もIBM時代、
「ファースト・インプレッション」
という言葉で、
最初の印象の大切さを
教えられました。

もちろん二回目以降は
適当でいいというわけでは
ありませんが、
初回訪問だけは、
全てを完璧にして臨みました。

例えば真夏に初回訪問となったら、
お客様のところに着くまで
背広を持って歩きますから、
訪問時には、背広が皺だらけに
なっていることがあります。

そのため購入時に付いてくる
スーツカバーに入れて持ち歩き、
客先に着くとカバーを傘立てに置いてから
背広を着るほど気を遣いました。

尤も、そのシャキッとした感触が
「いい仕事」につながるので、
いつしか真夏の訪問は、
初回でなくてもそうなってしまいました。

歴史上にも
初回の大切さを知る人がいました。

豊臣秀吉です。

豊臣秀吉が北条氏を攻める際、
最初だけは全力で城を攻め落として
豊臣軍の強さを見せつけることを目指し、
静岡県三島市の山中城に
攻め寄せました。

豊臣勢が無理な城攻めを
行わないと思っていた北条方は、
豊臣勢の勢いに押され、
わずか半日で山中城は落城しました。

その後、北条氏の諸城では
降伏開城が相次ぎ、
最後は小田原城に押し込まれて
降伏します。

秀吉は
「大戦(おおいくさ)は緒戦にあり」
ということを心得る
極めて有能な武将でした。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2. 大盛況の佐賀講演と名所めぐり

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さて今回は、3/16~17に行ってきた
佐賀講演旅行について
語っていきたいと思います。

というのもSNSなどで多くの方から
「東京でこの講演をやってほしい」
というご要望をいただいたにもかかわらず、
その予定がないため、
メルマガで講演の要約だけでも
お届けしようと思った次第です。

実は一昨年(2017)の2/3~4、
講演旅行で佐賀を訪れました。

この時は「佐賀藩の幕末」という
演題で講演したのですが、
たいへん盛況で450名近くの方に
お越しいただきました。

しかも申込制にしなかったため、
予定が100人のところ450名もの
方々が押し寄せ、
たいへんな混乱となりました。

しかし佐賀城本丸の大広間は
襖を取り払えばキャパシティが
あるということで、
異様に縦長な状態で
講演することになりました。

最初の佐賀訪問では講演のほかにも、
名護屋城、
佐賀城、
江藤新平関連史跡
(旧宅、墓、潜伏地の金福寺)、
三重津海軍所跡、
佐野常民(つねたみ)記念館、
大隈重信記念館・旧宅、
築地(ついじ)反射炉跡
などをめぐりました。

そして昨年の9/20~21、
再び佐賀に呼ばれ、
県知事や関係部署のお歴々に
ご挨拶しました。

二回目の訪問では、大隈重信の菩提寺の
龍泰禅寺(りゅうたいぜんじ)と墓、
鍋島家菩提寺の
高傳寺(こうでんじ)と歴代墓所、
副島種臣(そえじま・たねおみ)の墓、
佐賀八幡宮、
そして吉野ケ里遺跡
などに行ってきました。

三回目の今回は、
主に有田方面に連れていっていただき、
有田焼に関する名所を散策しました。

どこも素晴らしい場所で
佐賀を満喫できました。

さて今回の講演にも
250名余の方々に来ていただき、
大盛況でした。

講演は三部構成になっており、
第一部は大河ドラマの舞台となった
ことで関心の高まる薩摩藩と島津斉彬を、
第二部は地元でもある
佐賀と鍋島閑叟を、
第三部は大隈重信を取り上げました。

ここから先は

5,939字
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?