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『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念 【歴史奉行通信】第九十六号

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こんばんは。伊東潤です。

いよいよオリンピックも終わり、残暑が厳しい季節となってきました。
ワクチンを接種し終わった人も多くなりましたが、ここに来ての第五波の感染爆発は深刻ですね。

さて8/15が終戦記念日なのは誰でも知っていると思いますが、それをさかのぼるはるか昔、厳密には永正十六年(1519)の同月同日(旧暦)、
「枯るる樹に また花の木を植えそえて 元の都になしてこそみめ」と歌い、「天下静謐」と鎌倉の復興を誓った一人の男が没しました。

男の名は北条早雲――。
正確には伊勢新九郎盛時、ないしは早雲庵宗瑞として知られています。

今回はその早雲が家訓として残した「早雲寺殿廿一箇条」について、数年前に歴史雑誌に寄稿したものを再掲載します。
ちなみに「廿一」とは「二十一」のことです。


〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1.『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ーはじめに

2. 『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ー寄せ集めの家臣団ゆえに

3. 『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ー人としての基本的な生き方

4. 『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ー早雲から氏綱、氏康へ / 家康へと繋がる理念

5. おわりに / 感想のお願い

6. お知らせ奉行通信
新刊情報 / イベント情報 / Voicy・ラジオ出演情報


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1.『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ーはじめに

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北条早雲(伊勢宗瑞)が残したといわれている家訓「早雲寺殿廿一箇条」。
誰が読んでもわかるよう、簡潔にまとめられたその家訓には、武士として、人として、
基本的な教えが説かれていた。
百年続く北条五代を支えた、礎ともいえるその教えとは――。


【早雲寺殿廿一箇条】
一、可信佛神事(神仏を信じること)
二、朝早可起事(朝早く起きること)
三、夕早可寝事(夜早く寝ること)
四、手水事(手水のこと)
五、拝事(拝すること)
六、刀衣裳事(刀衣裳のこと)
七、結髪事(髪を結うこと)
八、出仕事(出仕のこと)
九、受上意時事(上意を受けたときのこと)
十、不可爲雑談虚笑事(雑談談笑をしないこと)
十一、諸事可任人事(諸事人に任せること)
十二、讀書事(読書をすること)
十三、宿老祗候時禮義事(宿老が伺候したときの礼儀のこと)
十四、不可申虚言事(嘘をつかないこと)
十五、可学歌道事(歌道を学ぶこと)
十六、乗馬事(乗馬をすること)
十七、可撰朋友事(友を選ぶこと)
十八、可修理四壁垣牆事(四方の壁、垣根を修理すること)
十九、門事(門のこと)
二十、火事用事(火の用心のこと)
二十一、文武弓馬道事(文武、弓道、馬道のこと)

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2. 『早雲寺殿廿一箇条』から学ぶ北条氏の理念
ー寄せ集めの家臣団ゆえに

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■寄せ集めの家臣団ゆえに

「早雲寺殿廿一箇条」は、伊勢新九郎盛時こと北条早雲が残したとされる家訓だ。
家訓とは家に伝わる戒めや教えのことで、家を継ぐ者たちが日々を過ごしていくための心構えと言い換えてもいいだろう。

「早雲寺殿廿一箇条」は江戸時代初期までに成立していたと言われるが、後世の創作ではないかと疑われ、その真偽について疑問視されてきた。
しかし最近、早雲の本家の伊勢氏宗家の家訓書と類似している部分が多々あったと分かり、全くの偽書とは言い切れないとなった。

「廿一箇条」の内容を見ていくと、武士として生きていく上での、基本的な心得を語っていると分かる。
それは現代にも通じるもので、極めて実用的なことが多い。
早雲は今川氏の家督争いに介入するため、ほぼ単身で駿河に下ってきた。つまり重代相恩の家臣団がおらず、その拠って立つ基盤は脆弱だった。
そのため早雲は、駿河の地侍や京都の幕臣、平定した伊豆の国人衆から優秀な人材をスカウトして家臣にしていった。
すなわち初期の北条氏の家臣団は、出自がバラバラの寄せ集め集団だった。こうした集団を統制していくのは極めて難しい。

またこの時代、後の幕藩体制時代とは異なり、武士には生活の規範などなく、野放図な生き方をしている者が大半だった。
こうした者たちに最低限の生活規範を守らせ、統制を取っていくのは容易ではない。

つまり早雲は「廿一箇条」で家臣たちに生活規範を示し、二代氏綱から使用が開始された「祿壽應穩」という印判で、
国人や民に「禄(財産)と寿(命)はまさに穏やかなるべし」という統治ビジョンを示すことで、北条氏が信頼できる統治者であることをアピールし、
支配体制を盤石にしようとしたのではないだろうか。

さて「廿一箇条」の内容だが、まず注目すべきは、第一条で「可信佛神事(神仏を信じること)」と、神仏への信仰を説いていることだ。
早雲が家臣団統制の基本に「信心」を据えたのは、早雲の人生観の中心に神仏への信仰があったことの証左だろう。

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