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アンフィニッシュト15-1

 ――後で訪ねてみるか。

 期待薄だが、二人に石山のことを聞いてみようと思った。

「石山さんも滞納したことなかったんだけどね。どうなっちゃったんだろうね」

 大家の言葉に相槌を打ちつつ、寺島は用心深く室内を見回した。

 ――問題は、火事のあった後に、石山がこの部屋に戻ってきたかどうかだ。

 そう思いつつ、そこらに散らかっている雑誌や新聞の日付を見たが、すべて火事以前のものだった。

 新聞は取っていなかったらしいが、残されているのがスポーツ新聞ではなく日経新聞というのが、こんなところに住む人間には、そぐわない気がする。

 古びた日経新聞を広げる寺島に、大家が言う。

「石山さんは大卒だったらしいよ」

「ええ、そのようですね」

 すでに寺島は、石山のことを調べてきていた。

 ――雄志院大学卒業後、一流銀行に就職。さらに証券会社に転職し、投資信託のファンド・マネージャーとなる。だが客の資金を流用し、懲役五年か。つまらん人生だな。

 そこにいかなる事情があったのかは分からない。だが石山という男が、日本の高度成長の狭間で、何かにつまずき零落していったという事実が、この部屋にはあった。

 ――酒か女か。もしくは自分の腕を過大評価して、一発勝負を賭けたのかもしれんが。

 運がよければ、石山は田園調布の豪邸に住んでいたかもしれない。だが賭けは裏目に出たのだ。

「石山さんは、何やら苦労したらしいよ」

「というと」

「会社がつぶれて、たいへんだったんだってさ」

 ――それは嘘だ。

 石山のように零落した人間は、自己を正当化したがる。それは崩れかかっている自分の人生を直視したくないがゆえに、自分にも暗示をかけたいからだ。

「だけどね、たいへんなのは、みんな同じだよ」

「その通りですね」

「あんたは若いから、これから前途洋々だね」

「そうでもないですよ」

 ――キャリア組ではない警察官の末路など知れたものだ。

 だがそのことは、世間ではあまり知られていない。

 寺島は、さほど偏差値の低くない私大の出だが、正義感に駆られて警察官になってしまった。だが学友や同年代の者たちが、上場企業やベンチャー企業で華々しく活躍するのを見て、羨ましいと思ったことが再三ある。

 ――どんなにがんばっても、初めから行き着く先が決まっている仕事など、誰がやる気になるか。

 寺島は、警察という組織の馬鹿馬鹿しさに愛想が尽き始めていた。そうした考えは、三十歳前後になると誰でも抱くようになるらしく、その年代で辞めていく者が後を絶たない。

「私の知り合いで日経新聞なんて読む人は、ここ二十年、見たことがないね」

 大家はぶつぶつと何か言いながら、襖(ふすま)や柱に傷がないか調べている。こうした賃貸アパートの大家は、いかに敷金を全額手にするかばかりを考えている。だから入居者とのトラブルが絶えないのだ。

 もう壊れていそうな古びたブラウン管テレビの上を触ってみると、薄く埃が堆積しているのが分かる。

「この埃のつもり方からすると、石山さんは一カ月以上、戻ってきてはいませんね」

 大家も寺島に倣って埃を指ですくった。

「ああ、そうだね」

「もう戻ってこないかもしれませんよ」

「やはり家賃を踏み倒されたのかね。いい人だと思ったんだけどね」

「それは、まだ分かりませんよ」

「まさか、死んだのかい」

 寺島はあえて事務的な口調で言った。

「石山さんの安否はまだ分からないので、こちらにあるものを警察が取り扱うわけにはいきません。できましたらこの状態で保管いただき、石山さんと連絡が取れたら、私にご一報いただけないでしょうか」

「まあ、仕方ないね。その間の家賃は泣き寝入りか」

 大家が家賃を警察に払ってもらいたそうな言い方をしたが、寺島は無視した。

 ――今日はここまでだな。

 象牙のライターから石山直人という男を探り当てられたが、すべては状況証拠であり、何ら確かになったものはない。

 ――つまり、無駄骨になる可能性も高いというわけか。

 外に出ると暗くなり始めていた。

 アパートの前で大家と別れた寺島は、昭和の臭いを濃厚に漂わせている商店街を抜けて、生麦駅へと向かった。

 夏休みの間は集会がないと聞いたので、琢磨は桜井に「赤城さんに挨拶させてもらえないか」と頼んでみた。すると桜井は、勝ち誇ったような笑みを口端に浮かべ、「いいわよ」と答えた。桜井によると、ちょうど夏休み前の重大な会議があるという。

 そんな場に連れていってもらえるのは幸いだが、琢磨があえて「それならやめとくよ」と言うと、桜井は「今年入ったばかりの子たちも来るから構わないわ」と答えた。

 それでどこが重大な会議なのかと思ったが、赤城に直接会えるのはありがたい。

 ――いよいよ本丸に斬り込みか。

 琢磨の胸は高鳴った。

「Welcome to 統学連!」

 琢磨が名簿に署名し、赤城に渡した瞬間、赤城は大げさに手を叩いた。

 取り巻きもそれに倣う。狭いアジトには十人前後が詰めかけ、空気が薄く感じられるほどである。

アジトは古い一軒家で、どうやら統学連が借りているものらしい。

 横山からはアパートの一室と聞いていたが、メンバーが増えたせいなのか、その情報は古くなっていた。

 ――まさか一軒家とはな。

 アパートと違って一軒家だと、中で何かが行われていても分かりにくい上、出入口や窓が多いので、踏み込んでも逃げられる公算が高い。

 琢磨は、警察からの情報を百パーセント頼みにできないと覚(さと)った。

「これで君は同志だ」

 赤城が握手を求めてきた。その舌鋒(ぜっぽう)の鋭さとは裏腹な、女性のように白い手である。

「同志となったからには、覚悟を決めてもらうよ」

「覚悟と言われると」

 赤城は立ち上がり、周囲の床に腰を下ろしている取り巻きを見渡しながら語り掛けた。

「われわれは東大闘争で敗北した。なぜなんだろう」

 誰も答える者はいない。下手に答えれば、赤城に否定されるからに違いない。

 警察学校でもそうだったが、こうした場合に得点することよりも失点しないことを考えるのが、日本人なのだ。

「どうやら、答えられる者はいないようだな」

 もちろん初めから、赤城は自分で答えを言うつもりだったのだろう。

「われわれは武力を持たないからだ」

 ――武力だと。物騒な展開になったな。

 赤城が重要な情報を語ろうとしていることに、琢磨は気づいた。

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