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アンフィニッシュト 43-2

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「こいつはラグビー部でね。商社マンになったんだが、昨年、脳梗塞で亡くなった。最後の方は、働き過ぎでふらふらだったとさ。あんなに頑丈な男が若死にするとはね。人間、一寸先は闇さ」
寺島は「そうですか」としか答えられない。
「こいつは老舗企業の経理部長をやっていたんだが、フィリピーナに入れ上げてね。使い込みをして御用さ。それで女房子供にも逃げられ、公判中に自殺した」
 玉井は饒舌(じょうぜつ)だった。だが玉井がコメントを差し挟むのは、石山同様、日本の発展の狭間に落ちてしまった男たちのものばかりである。その反面、人生をうまく渡ってきた者の話は出てこない。
 ――成功者の話は、さほど興味がないのだ。
 寺島の世代なら、友人から成功者が出ると自慢に思うものだが、人数が多くて競争も激しかった玉井の世代では、嫉妬や”やっかみ”という感情が渦巻いているのかもしれない。
「こちらは、衆議院議員になった方ですね」
「ああ、そうだよ」
 同じ政治家でも国会議員となっている者に、玉井はそっけない。
 続いて玉井は、石山の卒業年次のアルバムを手に取った。
 同じように雑事を語りながら、一瞬、玉井の手が止まった。
 そこには、居並ぶ学生の中でも、ひときわ輝く笑顔があった。
「この女性を、ご存じで」
「まあな」とあいまいに答えつつ、玉井がページをめくろうとする。
「この方は卒業後、芸能界にでも入ったのですか」
「どうしてそんなことを――」
 玉井の顔色が変わる。
 心中のリールが、わずかに動く音がした。
「いや、美しい方だからです。お名前は――」
 名前を見るようなふりをしてアルバムを引き寄せ、寺島は玉井にページをめくらせないようにした。
「桜井紹子だよ」
 玉井がため息交じりに言う。その様子は、単なる学園のマドンナに対するものとは明らかに違う。
「彼女は芸能人なんかじゃない」
「もったいないな。では卒業後は何を――」
「赤城壮一郎の秘書になったと聞いたが、その後のことは知らないね」
「ア、カ、ギと――」
「そう。学生運動家だったが、運動が下火となってからは、新興宗教の教祖となった男さ」
 ――あの胡散(うさん)臭い奴か。
 大学卒業後、赤城はマスコミに一切、姿を現していないが、信者三十万人を擁する「神光教」の教祖として、その頂点に君臨している。
「ひょっとして、二人は男女の関係だったのでしょうか」
「いや、在学中は誰にも知られていなかったが、二人は兄妹だったんだ」
「そうなのですか」
 リールがゆっくりと回り始めた気がする。
「それで、この桜井さんと石山さんは懇意だったのですか」
 不釣り合いな二人だが、いちおう探りを入れてみた。
「ご冗談を。石山はああいう男だし、桜井さんには――」
「別の男がいたと――」
「待って下さい。それが、この事件にどう関係してくるんですか」
 突然、玉井の口調が変わる。
「申し訳ありません。私はゴシップを聞きたいわけではないんです。私は石山さんの交友関係が知りたいだけなんです」
「そうかね」と言って、しばし考え込んだ後、玉井は言った。
「他言無用ですよ」
「もちろんです」
「実は、二人には共通の友人がいたんです」
「いた、ということは、もうお亡くなりになられているのですか」
「おそらく、ね」
「死亡したかどうかも不明で、音信不通なのですね」
「そういうことになります」
「その方は、このアルバムの中にいらっしゃるのですね」
「いや、私と同学年でしたが、卒業扱いにはなっていないので、写っていないはずです」
「それは、どういうことですか」
 玉井が苛立ちをあらわにした。
「私にも立場があります。今回は東京からお越しいただいたので、あなたの熱意に負けてお教えしますが、私から聞いたということは他言無用にして下さい」
「お約束します」
「実は――」
 玉井の話に、寺島は引き付けられていった。

 久しぶりに、川崎署の刑事課に緊張が漂っていた。
 一室に集まっているのは、捜査本部の管理官、係長、島田、野崎、寺島に県警の捜査一課の刑事である。
「つまり寺島君は、その中野健作という人物が鍵になっているというのだね」
 島田が問う。
「はい。この人物が帰国後、石山を赤城と桜井に結び付けたと考えられます」
 白板に関係図を描きながら、寺島は説明を続けた。
「つまり中野は、何らかの赤城の秘密を知っている。赤城は忠実な信者を使って、中野を消そうとした。その騒動に、石山とほかの被害者は巻き込まれたと考えられませんか」
「おい、待てよ」
 野崎が鋭い眼光で問う。
「その中野健作という御仁は、さど号で北朝鮮に渡り、七十二年頃から行方不明になっているんだろう」
「そうなんです」
 管理官が言う。
「何かやらかして不満分子とみなされ、北朝鮮政府によって処分されたんだろう」
 寺島が首を左右に振る。
「定かなことは分かりません」
 今度は島田が問う。
「ほかのハイジャック犯は何と言っているんだい」
 寺島に代わって係長が答える。
「赤軍出身でフリーのジャーナリストになった奴が、北に行って田丸たちに取材したらしいんだが、中野は『労働者として働いたことのない人間が、労働者のための革命などできない』と言い出し、宿泊所での優雅な生活を捨てて、一人民として農村か工場で働きたいと申し入れ、それを認められたらしいんだ。ところがその後、炭鉱に送り込まれたらしく、落盤事故で命を失ったという話だ」
「できすぎた話だ」
 野崎が吐き捨てる。
「しかし生きていて、帰国したという証拠もないのだろう」
 島田の質問には、誰も答えられない。
「寺島君」と捜査一課の刑事が問う。
「君は、この中野という人物が密かに入国しており、石山と出会った。そこで旧交を温めることにしたが、たまたまその夜、中野を狙った放火があり、石山だけが焼け死んだ、と言いたいのだな」
「その可能性は否定できないと思うのです」
「おいおい」と管理官がため息をつく。
「さど号の犯人が入国しているなどあり得ない。誰か別の人間に成りすましていなければ無理だ。しかもこちらでは、海外での行方不明者のパスポート番号はすべて把握しているし、今のシステムでは偽造パスポートは、すべて見破れる」
「最近のことではないかもしれませんし、誰か、有力者の手引きがあったという可能性もあります」
「有力者、だと」
「待てよ」
野崎が鋭い視線を向けてきた。
「その中野とやらが生きていて、仮に入国していたとしても、なぜ川崎の簡宿に潜んでいるんだ。しかも警察まで五分の距離だ。捕まえて下さいと言わんばかりじゃないか」
 寺島は、その答えをすでに考えていた。
「身に危険が迫った時、最後の手段として、警察に駆け込むことも考えていたのではないでしょうか」
「あのノートを持ってか」
 島田が小さな目を見開く。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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