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アンフィニッシュト 30-2

「失踪したのでないとしたら、あの簡宿にいた可能性もあります」

 野崎が反論する。

「やはり早計じゃないかな。石山が何かの賭けに負けて、ライターを取られたとも考えられる」

「父親の形見を、賭けの場に出しますかね」

 今度は島田が言う。

「例えば――、盗まれたことだって考えられるだろう」

「肌身離さず持っていたものですよ」

「でも酒を飲んでいる時など、テーブルの上に置くだろう。煙草を吸う奴が、飲んでいる場で、いちいちライターをポケットに入れるなんて見たことないぞ」

 寺島が黙っていると、野崎が追い打ちを掛けるように言った。

「あの簡宿を訪ねて酒を飲み、ついライターを忘れていったとも考えられる」

「それなら、すぐに取りに戻るだろう。親の形見の珍しいライターだぞ」

 なぜか島田が寺島を応援する格好になった。

「それはそうですが、取りに行こうとしていたら火事になったとか――」

 野崎が眼鏡を取って拭き始めた。苛立った時の癖である。

「ちょっと待って下さい」

 寺島の心に何かが引っ掛かった。

「野崎さんの言う通り、石山はあの簡宿に泊まっていたのではなく、誰かを訪ねてあの簡宿に行ったとは考えられませんか」

「誰かを訪ねて、ね」

 島田が腕を組む。

「だが、それなら目撃者の一人ぐらいはいるはずだ」

「それは分かりませんよ。見慣れない男たちが簡宿内をうろついていたって、互いに気にしない社会ですからね」

「でも、たいていは後期高齢者だ。そこそこ若いもんがいたら目立つだろう」

「まあ、確かにそうですが、石山は六十五歳ですよ。顔が老けていたら七十歳以上に見えたかもしれません」

 それについては誰も反論できない。

「だが、遺骸の頭数も合わなくなるだろう」

 野崎がもっともなことを言う。

「確かにその通りですが、訪ねた先の部屋の住人は、難を逃れたということも考えられます」

「ではその男は、なぜ石山の存在を隠すんだ」

 野崎が問うと、島田も言った。

「だいいち、友達なら一緒に逃げるだろう」

「石山が酔いつぶれて、どうにもならなかったとも考えられます。石山は、いい体格をしていたという大家の証言があります。それで見捨てて逃げた後ろめたさから、われわれに石山の存在を黙っているとか」

「もう、よそう」

 島田が首を左右に振る。

「こんなことを考えたところで、きりがない。仮定の上に仮定を積み重ねているだけだ」

 確かにその通りだと、寺島も思った。

「そのノートとやらを、もう一度、見せてくれないか」

 野崎の要求に応えるべく寺島が席に戻ると、視線の片隅で、島田と野崎が小声で話しているのが見えた。

 ――どうするか決めかねているのだ。

 二人の元に戻った寺島がノートを渡す。

「これか」と言いつつ、野崎の開いたページを島田ものぞき込んだ。

「つまり、これが暗号表で何かを表しているというわけか。だがそれは、スーパーコンピューターを回しても分からないのだな」

「はい。鑑識によると、たいていの場合、手持ちの変換表を使っているので、これだけのデータでは意味のある言葉は出てこないというのです」

「だが、変換表など使っていないかもしれんしな。掛けたり割ったりだけでもやってみるか」

 島田が断を下すと、野崎も同意した。

「いいでしょう。このノートと石山の関係はまだ何も言えませんが、玉井議員を当たるのは、それからでも遅くありません」

「ありがとうございます」

 寺島は内心、ため息をつきつつ頭を下げた。

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