見出し画像

アンフィニッシュト27-2

「ちょっと待って下さい。人の多い空港で立ち回りを演じるんですか」

「そうだ。でないと、現行犯逮捕できないだろう」

「しかし周囲には、一般人が多くいるんですよ、あまりに危険ではないですか」

 横山の苛立ちが電話口から伝わってくる。

「それを決めるのは、われわれだ。君ではない」

「分かりました。では、私は明日にも署に向かいます」

「何を言っているんだ。君は羽田空港に行くんだ」

「なぜですか」

「そんなことも分からないのか。奴らは君に気を許している。いざという時、君を頼りにしたり、何かを託したりするだろう」

 確かに人質を取った時など、琢磨に託されることも考えられる。

 ――致し方ない。これが最後のご奉公か。

「分かりました。空港には行きます」

「そうしてくれ」

「それで逮捕の段取りですが――」

 そう言いかけたところで、一方的に電話が切れた。

 掛け直そうと思ったが、腹立たしくなって受話器を置いた。

 ――近くに狩野たちがいるので、話しにくかったのだろう。

 それにしたって、段取りを告げてくれなければ、琢磨は大した戦力にはなれない。

 ――おそらく、もしもの場合に備えているのだな。

 琢磨は胸底からわき上がる疑念をねじ伏せた。

 電話ボックスを出た琢磨はアパートへ向かった。

 ――雨か。

 雨ぐらいで飛行機が飛ばないことはないと分かってはいるが、雨にもすがりたい気分である。

 やがて見慣れたアパートの外壁が見えてきた。

 ――スイートホームとも、今夜でお別れか。

 おそらく明日、赤軍派は一網打尽にされ、琢磨は警察に引き揚げることになる。その後、当面は内勤となるはずだが、住居は警察が手配してくれるので、このアパートに戻ることはない。

琢磨がポケットに手を突っ込み、鍵を取り出そうとした時である。階段の陰に誰かいるのに気づいた。

 ――しまった。正体がばれたとしたら、すでに赤軍派か統学連に取り囲まれているはずだ。

 アパートは狭い路地奥にあるので、逃げ道はない。

 ――助けを呼ぶか。

 だが声を上げて助けを呼べば、近所の人を危険に晒すことになりかねない。それだけは、警察官として避けねばならない。

 ――リンチくらい受けるしかないな。

 琢磨が覚悟すると、陰が一歩、踏み出した。

 ――女か。

 ようやく琢磨は、それが桜井紹子だと覚った。

「何だ、桜井さんか」

「誰だと思ったの」

「警察かと思った」

「警察は一人で来ないわ」

 ――その通りだ。

 自らの早合点を指摘されたような気がして、琢磨は内心、自嘲した。

「それで何の用だい」

「用がなければ、来てはいけないの」

 いつになく桜井は真顔である。

「そんなことはないけど――」

「あなたの面倒を見るよう、赤城さんに言われたじゃない」

 桜井は大切そうに包みを抱えていた。

「これを一緒に食べようと思って」

「ああ、そういうことか」

 琢磨は鍵を開けると、桜井を招き入れた。

 こうした時のことも考え、部屋の中には、警察を匂わせるものは一切、置いていない。

「お邪魔します」

「散らかっているよ」

「連絡もなしに来たんだから仕方ないわ」

 われながら男臭い部屋だとは思うが、今日はいつになく臭いが鼻をつく。

 敷かれたままの蒲団を避けるようにして、桜井が部屋の中に入っていく。

「すまないね」

「何が」

「別に」

 桜井はようやく微笑むと、小さなテーブルに持ってきたも包みを広げた。

 それは弁当だった。

 ――手作り弁当か。

 桜井が何をしに来たか、琢磨にもようやく分かった。

「すぐに食べる」

「ああ、腹は減っている」

 桜井が支度を始めた。味噌汁を容器に入れてきたらしく、鍋を洗うと、そこに入れてガスを点火した。

 その後ろ姿を見つめながら、琢磨は夢想した。

 ――こうして同棲できたらいいのにな。

 だが桜井は赤城の女であり、琢磨は潜入捜査官なのだ。二人には、二重の壁が立ちはだかっている。

「味噌汁以外は温められないけどいい」

「もちろんさ。君が作ったのかい」

「そうよ。料理は得意じゃないけどね」

 やがてテーブルに食事が並べられた。やや冷えた飯、肉野菜炒め、漬物、味噌汁といった簡素なものだが、今まで食べたどんな食事よりもうまかった。

「お茶はどこにあるの」

「そのくらい、ぼくがやる。座っていなよ」

 琢磨は台所に立ち、茶を淹れた。ちらちらと桜井の様子を盗み見たが、正座して手を前に組んで俯いている。その姿は、いつになく緊張しているように思える。

 ――俺が北朝鮮に行くと、本気で思っているのだ。

 琢磨が茶を運んでいくと、桜井は「ありがとう」と言って、それを喫した。

「どうした。借りてきた猫のようだな」

「そうかしら」

 なぜか話は弾まない。気まずい雰囲気が垂れ込める。

「ラジオをつけよう」

 琢磨がラジオをつけると、ローリング・ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』が耳に飛び込んできた。


===================================================
『アンフィニッシュト』を読んで面白いと思っていただけた方は、ぜひサポートをよろしくお願いいたします。
いただいたメッセージは、すべて読ませていただきます。
よろしければ、Twitterでも「#アンフィニッシュト」で、ぜひ感想をつぶやいてください。
『アンフィニッシュト』最新話は毎週火曜日発売のサンデー毎日(毎日新聞出版)でお読みいただけます!
Twitter(@jun_ito_info)もやっています。フォローよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?