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20200906モリゼミオープンレクチャーvol.4サン・セバスティアン

20200906モリゼミオープンレクチャーVol.4サン・セバスティアンでした。

スペインの北東部のフランスとの国境に近い、バスク州のサン・セバスティアン「スペイン北部の小さな街がなぜ美食世界一になれたのか?」がメインテーマでした。

このサン・セバスティアンは「豊かな地域とは必ず言えず、生き残る方向を模索した」地域だったそうです。これは私が所属するエストニアチームが、独立後国の命運・未来をデジタル戦略に架けたことと、手段は違えど類似するものを感じました。

サン・セバスティアンはバスク州のラコンチャ海岸に面する、人口18.60万人(都市圏人口43.65万人)の都市。バスク語、スペイン語、フランス語、英語が通じて、観光産業・スポーツ・映画・食文化が繁栄しています。バスク人は系統不明で謎の言語体系を持っています。

アスレチック・ビルバオというラ・リーガのサッカークラブがありますが、ここはバスク人のみが選手登録できる純血主義を貫くクラブですが、それでもラ・リーガで上位の成績を誇る強豪です。

このサン・セバスティアンはミシュランの3つ星レストランのうち、3つが存在する名だたる、食の都市なのです。

サン・セバスティアンのあるバスク州は、課題として、独特の言語・人種をルーツに持ち、鉄鋼業・製造業が中心の産業から観光産業への転換をはかり、フランコ内戦やETAによる独立テロ行為を乗り越えて、美食世界一へ向かっていくことになったのでした。

「生活の食から産業の美食へ」フランス美食革命を経て、サン・セバスティアンには美食倶楽部という男性だけが入会できる、シャアキッチンが結成されました。それまで女性が主導権を持っていたキッチンに、男性が自分たちも食材を調達し、料理を作りたいと動き始めました。美食倶楽部は入会金10万円、年会費3万円を支払い入会します。

そして、「ヌーベル・キュイジーヌ」という1970年代のフランス料理革命で、伝統にカジュアルさを取り入れた料理が生まれます。さらに「ヌエバ・コッシーナ」という新バスク料理運動が、1975年のフランコ独裁後に始まります。ルイス・イリサール、ファン・マリ・アルサック、ルイス・イルサールという、著名なシェフの下、レシピのオープンソース化、兄弟子が料理を教え合う、料理は見て盗めという旧態の形から「レシピのオープンソース化」、料理を言語化し教え合い、若い料理人も参入できるように変革していきます。ルイス・イルサールは「私のレストランだけが繁盛し続けるのは難しい。しかし、サン・セバスティアン全体のレストランの質が上がり、繁盛し、お客さんを分け合えば、いいだけだ」と述べています。

次に「料理分野での革新的創造」が生まれます。1980年代、「アルサック」がレストラン内にラボを設立し、ラボ内で研究員と共に新しい料理研究を始めます。1982年には当時63歳だったルイス・イリサールが、1992年11月にルイス・イリサール料理学校を開設します。午前中に講義と実技、午後にレストランで研修という革新的なプログラムを組みました。新バスク料理運動に携わる者を輩出し、料理について学び合うことが当たり前の文化として地域に根付き始めました。

1999年には世界初の「国際料理学会」が開催されます。料理のパリコレと呼ばれるイベントでもあり、シェフたちが名前と共にレシピを公開しています。食の共存、世界との繋がりを目指すイベントで、多くのメディアも取り上げています。サン・セバスティアンはラボ・学会・学校が出来ていきます。

そして「地域ブランドの確立と研究機関の確立」。革新的なシェフたちにより牽引されてきた食革命が、地域全体のブランドになり、世界から注目されていくのです。2006年には市観光局がガストノミー(美食文化)に着目し、観光戦略を官民連携で打ち出します。「ただ観光客を増やせばいいわけではありません。地域の文化を、地域住民と共に守りつつ、そこにある時間やものの価値を正しく理解してくれる質の高い観光が必要です」と提唱しています。モノではなく、時間、豊かさの価値、明文化が失われることが懸念され、ジェントリフィケーションが懸念されました。

しかし、2019年には大学が建学されます。バスクのクリナリーセンターが設立され、企業・メディア・経営・科学・イノベーションを包括する人材のハブが形成されています。キッチンや機材が自由に研究出来て、食材研究が進み、産業界と人材の接続が進み、産学に秀でた人材を輩出されています。

2016年には「欧州文化首都」に選ばれ1年間文化行事が展開されました。プロポーザルにより、EUから300~400億円の補助金が支出されます。欧州全体の文化が広がり、市民参加が促されました。

最後に「テクノロジーの融合」です。2018年にラボが出来て、デジタル×ガストノミーが進み、料理人・スタートアップが支援され、研究者や大企業が繋がりました。アーカイブが継承されていくのです。サン・セバスティアンはこの20~30年程で食文化が開花したのでした。

サン・セバスティアンは6つの構想があります。

1.伝統食に対して新しい手法や素材を取り入れる。

2.料理人や作り手を中心に、料理を楽しむ開かれたコミュニティを構築する。

3.年齢や文化に関係なくお互いに教え合い学び合う。

4.研究発表できる学会や大学のような学術的な場を作る。

5.テクノロジーと融合させ、発展的継承を試みる。

6.メディアを巻き込み、地域ブランドを生み出す。

森先生からのレクチャーの途中、山田崇さんのコメントが印象的でした。バスク人の男性は家でやりづらい料理を、外ですることに気付いたことが転換点でした。自宅で出来なければ、職場で出来なければ、外でやってみるというカジュアルにやる、イシューをしぼる、という着想に共感しました。

情報や技術を継承するためにオープン化すること、産学官連携して産業と人材を育成すること、地域ブランドを確立すること、市民参加を促進し都市のプライドを高く持つこと、地域独自の文化を守りつつ、文化を継承しながら新しい自由な発想を持ち実行すること。美食世界一のサン・セバスティアンからは、本当にたくさんのまちづくりのレシピを授かりました。

今回もオープンレクチャーありがとうございました。サン・セバスティアン、いつか美食を堪能に訪問してみたいと心に刻まれました。

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