多様性は可能性

多様性という言葉を
近年よく耳にするようになりました。

昭和45年生まれの私が、子ども頃も
「ふつうが一番良い」とされていたと思います。 


一番良いというよりも
「目立たないように、無難に」
という感じが、母親の中に強かったようにも感じます。


金子みすゞさんが

「私と小鳥と鈴と」を書かれたころは
大正末期から昭和初期であって 

「みんなちがってみんないい」の解釈は

今のイメージではないかも知れないですが

その当時に

個性についての
考え方をしっかりと発信されていて
それが、後生に継がれているということを考えると

表面的には「ふつうがいい」とされていた
昭和初期の世の中でも
共感する人たちも多かったのでは?
心の中では、多くの日本人が思っていたことなのかも? 
と思いました。


視点は少し変わりますが
近年では、東京大学先端科学技術研究センターを中心として
「DO-IT Japan」や「異才発掘プロジェクトROCKET」という
さまざまな特性をもった子どもたちの

高等教育のための活動が

行われています。

今までの、画一的な教育の中で
埋もれてしまっていた

子どもたちの
ふつうではない、飛び抜けた力を伸ばすことで

そういった子どもたちが
社会進出し、社会のリーダーとなっていく時代が
来る時も近いんだろうと思っています。

今まで埋もれていた偉才を
どんどんと見つけて、伸ばしていってほしいです。

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