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合理的に食べる

実は、朝食の目玉焼きの黄味が
ベッタリお皿に残ってしまうことには
負い目を感じている。
たっぷりのご飯の上なら
まだ、安心して目玉焼きをつぶすこともできるのだが
だいたい黄味の部分は一口で食べている。

あれは、もう47年も前のことになるが
小学校1年生の時、父と二人で
立ち食いうどん屋へ行った日のこと。

大人に紛れ、父と一緒にカウンターの前に立つことが
私は少し嬉しかった。

父は、きつねうどんを
私は、月見うどんを注文した。

外で食べるおうどんは、私にとって格別で
すごく熱く、おつゆも美味しくて
鼻水をすすりながら無心に食べていた。
(あぁ、美味し)
お出汁を味わいながら、卵をつぶしていると

「もったえない、卵は一口で食べるのが合理的や」

「こうやって」と
どんぶりに口をつけ

「卵を一口で、一気にツルッと食べるんや」と
父は、つゆに浮いている月見を食べるマネをした。
「・・・なんで???」

「卵がつゆに溶けてしまうと
卵1個、全部食べられへんやろ?」
家に帰り説明してくれた。

とにかく卵をつぶしたらアカン…
と私は思った。

その出来事が発端になったのか
目玉焼きを食べた後
半熟の黄味が、残っているのを見ると
黄味をつぶしてしまったことに
負い目を感じている。

「合理的に」は
父の口癖だった。

卵が丸々1個、胃袋に入ることが合理的なの?
なんか変じゃない?
少し大きくなってモヤモヤした。

主婦になり夏、手放せない器がある。
器の底に、おろし金のついた陶器の器。

1人分の生姜をすると
おろした生姜と同じくらいの生姜が
おろし金に残ってることが
もったいなく負い目を感じていた。

この器だと
器の底のおろし金で、生姜をすり下ろし
器に、麺つゆを入れると
生姜のロスも、負い目もなく
そうめんをいただける。

なんとも、父の考え方が
具現化されたカップを
図らずも、今、愛用している私がいる。

父から、あの日学んだ「合理的」を
いつの間にか「ムダにしない」に変換し
私は、日々うまく暮らしている。

9月の課題本『パン屋でおにぎりを売れ』からのエッセイでした。

執筆意図

 考え方という観点から、子どもの頃に父親に、月見うどんの卵の食べ方を教わったことを思い出し、エッセイにしてみました。
概略として…
 父の考え方は小さい頃の私にはすんなりと入らず、小さいながらに「大人になったらわかること」のように感じていました。大人に近づいても、父の考え方にはモヤモヤし違和感をもちながらいましたが、大人になって同じような考え方をしているところが、自分でも面白いな、と思えたところです。
 書き方や内容で工夫したところは、卵や、生姜自体は、日常生活の中の、ごく普通のモノなので「負い目を感じている」という表現から、その感覚が伝わるように、様子や状況を詳しく書いてみました。また、小学生の頃の思い出の中の父と、大人になった自分とが、似通った考え方をしているというところを、最後、どのようにまとめようかと迷いながら、最終的にこんな形におさまりました。

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