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虹の橋を渡った子と生きる。<2>両立させないと悲しむだろうから。

 愛犬のまーが旅立って、4週間が経った月曜日です。動物病院で、獣医さん、ナースさん、そして私のところで、とても静かな旅立ちでした。「苦しんではいないですよ。眠ろうとしているだけです」と獣医さんに言っていただいたことと、まーの最期の表情は、きっと一生忘れないと思います。

最後の数カ月、月曜日は、まーを動物病院に連れていって、注射と点滴をしていただく日でもあったので、どう過ごしたらいいのか、まだ考えあぐねてしまいます。日曜日と月曜日が私のお休みなので、火曜日からの勤務に向けて、したいこと、しておいたほうがいいことは、いつもたくさんあるのですが、そして、それらをひとつひとつやっていくことが、気晴らしにもなるのですが、気晴らしはやっぱり気晴らしで、その言葉の裏には、「晴らしたい何か」が、錘のようにあるのです。

まーのお骨のところと、私のリビングと、両方にお花を生けることが、月曜日の習慣になっていて、今日もさっき買ってきて生けました。小雨の朝で、お店まで歩いていきました。いつもなら、歩いてどこかに出かけるときは、iPhoneで音楽を聴きながらなのですが、今日はなんだか音楽を聴く気になれなくて、というか、静かな気持ちで歩きたくて、iPhoneを持たずに出かけました。

道すがら、まーのことばかり考えていました。ひとつは「重いなあ」ということ。17年間、ひとりと一匹で暮らしてきたので、まーが旅立ったことに対する私の思いを、同じ重さで感じてくれる人はいません。たくさんの友人たちに励ましてもらったり、気持ちに寄り添ってもらったりしていることには、本当に感謝しているのですが、でも、この重みが減ることはないのです。

「重いよう」と声に出しそうなくらいに感じながら、同時に、この重みは私だけのものだから大切にしよう、とも思いました。だから、軽くしようとか、無くそうとかは、絶対思わないようにしよう、と。

私がまーのことを想わなくなったら、まーとの日々が消えてしまいそうにすら思います。ひとつの命が消えたのです。大切な大切な命が。だから、いつまでもその命のことを想いながら、しっかりと生きていかなければならないのです。

私たちは小さいころから、「両立」の大切さをよく言われて大きくなってきましたよね。部活と勉強の両立とか。家庭と仕事の両立とか。これからの私は、まーを愛しむことと、自分の人生を生きることの両立が課題なのだといま思いました。

まー、お母さんは、まーのことをずっと想って生きていくよ。そして、一所懸命、生きていくよ。だから、見ててね。まだまだめそめそしているお母さんだけど、そんなお母さんのことも見ててね。


2017年5月4日に動物病院で撮影。狂犬病の予防接種と、フィラリアの血液検査に行ったときのものです。「おうち帰るよ、帰ろうよ!」と、私に愛想を振りまきながら、ドアの前で構えていました。まだこれから診察だってば。



心身ともに調子が万全でない今日の朝ごはん。玄米と梅干しと、胡瓜、トマト、ソーセージ、揚げ玉入りのお味噌汁です。いま、読み直している土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』には、たくさんの学びをいただいています。ケの日の食事、大切にしたいです。

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