見出し画像

五輪開催中止というのは、誰に向けた言葉か自覚してますか?

ダイヤモンドオンラインがメールマガジンのヘッドラインに取り上げるくらいだから、たぶん、民意の大多数が五輪開催に反対なのでしょう。

私個人としては中立な立場ですが、
ここで全然違う視点を投げかけたいのが
競技者、選手はどう考えているのか?
ということです。

多くのアスリートにとって、五輪出場は夢です。
それも我々一般庶民が妄想する夢などとは異なり、文字通り、人生を五輪出場&メダル獲得に注いでいます。
人生設計の基礎となる生後〜成人の間のほとんどの時間を競技者として、そのパフォーマンス向上のための活動につくし、それ以外のほとんどの学びや遊びの機会を犠牲にしています。

すべてはオリンピックで金メダルを得るために。

それでも、五輪に出られる機会というのは限られている。
人によってはこれが人生で唯一のチャンスかもしれない。

そんな彼らアスリートは、五輪中止を望んでるんですかね?中止キャンペーンでも、誰かしてましたか?

五輪開催の中止を要請するというのは、
アスリートから五輪という人生の一大事を取り上げよう、という見方もできませんか?

コロナ禍で結婚式を開催するな
コロナ禍で飲食店を営業するな
コロナ禍でコンサートを開くな
それと同じことを言ってるように聞こえます。
なるほど、大のために小を犠牲にすべし、という考えですね、と。

※ちなみに僕個人としてはその全体最適な意思決定の考え方自体は嫌いじゃない(むしろ好き)です。

関与人口の観点でいえば、五輪を無観客で開催するよりも、飲食店・結婚式・コンサート等を一切合切中止した方が、はるかに感染抑止に貢献しますね。

なので、僕は五輪反対と無邪気に言いたくないし、正直聞きたくない。
それを言うんだったら、まず自分と、周りの人に一切の外出を完全に制限して生活してみせろ、と。コロナ終息まで。
それなくして自身もまたコロナ感染拡大のリスクを多少なりとも振り撒いておきながら、およそ他人事たる五輪開催に賛成だの反対だの、というのは、無責任なだけでなく、その言葉の意味を自覚していない、無教養で恥ずかしい物言いに聞こえます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?