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今までハマった漫画からオリジンを読み解く

最近、オリジンに関して考えることが多くある。作者やその作品から滲み出る作品性、大切にしている価値観、根底にある価値観。それらは、作者のオリジンが大きく影響している。ということだ。

言い方を変えれば、オリジンとは、自分らしさ。と言い換えることもできるかもしれない。自分らしさをどう作るのか。自分らしさは大事だという人は多い一方、では、どのように自分らしさを作るのか。そこを伝えられる人は、ほとんどいない。

オリジンとは、まさにその人の原点、原体験。その経験から、その人の価値観が作られ、そこをベースに物語やキャラクターが作られる。特にマンガは、そういった部分がわかりやすい感覚がある。

セリフ、キャラクターの容姿、名前、大まかな世界観。そのような世界観で、キャラクターがどう動くのか、どのような言葉を発するのか。そういったところから、マンガはある意味、オリジンがかなり出やすいのではないかと思う。

私はマンガは、多く読まないが、今までハマったマンガは、何かというと、ばらかもん、作者:ヨシノサツキ、鈴木央、代表作、7つの大罪、ライジングインパクト、の2つだった。

あまり読まないので、この辺りしか出てこなかったのだが、今思えば、この2つは、まさにオリジンそのものが非常に強く出た作品だったと感じる。

ばらかもん ヨシノサツキ

ばらかもんというマンガは、書道家である半田清舟(主人公)が書道のコンテストで、自分の作品を貶されたことで、偉い人に殴りかかり、両親に人としての成長をしてきなさいということで、島に居住させられ、そこから人として大切なことを学んでいくハートフルコメディになる。

今の世の中は、まさにそうだが、人に勝つこと、人より優秀であることを求められる。その先は、誰かに勝つか、誰かに負けるかの2つしかなく、負け犬になって惨めな人生を送りたくなければ人より優秀であること、人に勝つことが求められる側面を持つ。主人公は、その行き過ぎた代償から生まれたような人物だ。

そこから、人として大事なことはなんなのか。それを島暮らしを通じて、個性豊かな住民と触れ合いながら、学んでいくのがばらかもんだ。

最近、ドラマ化もされたこともあり、名前を聞いたことはあるかもしれない。ばらかもんとは、どこかの地方の方言で、元気者、という意味らしい。

さて、ここからが大事な部分だが、このばらかもんの作者、ヨシノサツキ氏は長崎県五島市出身という島の人である。

この作品には、魅力的な登場人物、やたらと濃い人たちが出てくるが、まさに荒川弘氏の銀の匙のように、自身が島出身という自分のオリジンがそのまま作品に出ているということだ。

島の中での生活、島の住民、それらは、ヨシノサツキ氏からすると当たり前の光景なのだろう。しかし、そもそも島出身の人や島という特殊な環境で生活した人は少ない。

誰かの日常は誰かの非日常。その言葉がそのまま当てはまるのがこの作品だ。

もちろん、いくつか工夫する必要はあるが、どのような作品を作っていくかの方向性を作るのは、このオリジンに寄与する部分が大きい。

世の中には、こうすればいいとか、このようにするとうまくいくとか、技術的なことを伝えるものは、多い。しかし、どのような方向性にしていくかの話は、ものすごく少ない。

それは教えられるものではなく、自ら見つけていくことが必要だからだろうが、どんなに技術やスキル、知識があったとしても方向性が間違っていたらいいものも活かしようがない。

鈴木央氏

鈴木央氏は、7つの大罪やライジングインパクトで有名なマンガ家だ。

私自身、ライジングインパクトというゴルフのマンガからこの方を知り、それ以降、ブリザードアクセル、7つの大罪などを読んでいる。

この方の作品は、なんといってもキャラクターが魅力であることだ。作者が作り出すキャラそのものがその世界の中で自由に動き回っている様子を感じるのが大きな特徴だと感じる。キャラクターの作り込み、キャラの活かし方、そういったのがとても上手な印象を受けている。

鈴木央氏は、元々漫画家になりたかったようだが、よく読んでいたマンガは、少女漫画だったようだ。そのせいか、少年誌の王道ストーリーの中に少女漫画の要素が多く入っている。

鈴木央氏の代表作品は、7つの大罪だと思うが、こちらの作品を読むと、特にそう感じる。内容はバトルマンガだが、かなりの頻度で恋愛の要素が入っているのだ。

絵柄が少々、鳥山明っぽいと言われるが、絵柄は確かに似ているものの、ストーリーやキャラクターは、むしろ真逆だ。

鳥山明氏の代表作は、ドラゴンボールだと思うが、あちらは、主人公である孫悟空がひたすら強くなることを目的に戦いに明け暮れるのに対し、鈴木央氏の場合は、愛する人を守るために戦うという側面が強い。

ドラゴンボールは、恋愛要素0だが、7つの大罪は、むしろ戦う動機が恋愛だ。

これは時代の変化によるものもあるだろうが、絵柄が似ていても方向性が違えば、こんなにも表現やセリフ、書く絵柄の感覚が違うのか。と感じた。

少年誌の中からこのような作品が出てくるのは、個人的には面白いと感じる。恐らく、鈴木央氏の根本の部分は、少女漫画による影響が大きいのだろう。

で、絵柄は、ドラゴンボールのような少年誌に影響された。だから、少年誌と少女漫画の2つが融合され、あのような作品になっているのだと思う。

個人的には、唯一無二の個性をもつ漫画家の一人だと感じる。そのような人は、あまりいないからだ。少年漫画の正反対とも言える少女漫画に影響されたというのは、あまりなく、そのような個性があるのであれば、そこをむしろどんどん活かした方が良いように感じる。

オリジンを学ぶ

その人の個性はどこにあるのか。そこを考えてみると、やはり環境や状況からくる価値観によるものが大きい気がする。

オリジンに関して考えてみると、その人の根底となる価値観というのは、人と違う部分にある。ということと、その違いは、大半の場合、選べないものである、ということ。ここが大きいように感じる。

例えば、ばらかもんの作者は、島暮らしである部分があるが、そもそも島出身といっても、島の人から生まれることを選ぶことはできない。

人は両親を選ぶことはできないし、親もまた子供を選ぶことはできない。だから、生まれる環境、育つ環境というのは選ぶことができない。

ヨシノサツキ氏も同様だろう。好きで島に生まれ、島で生活したわけではないと思うが、結果的には、その経験が大きな価値観、世界観に繋がった。ということになる。

銀の匙の荒川弘氏も同様だ。別に酪農家に生まれたかったわけではなかったと思うが、結果的にそのような環境で育ち、独特の価値観を育てることになった。

そして、それらの価値観は、人と違う価値観を育てるようになった。そもそも2人の状況は、普通の人の生活とは異なる生活だからである。

こういったことを考えていくと、大事になるのは、自分というのは、何が違うのか。その違いに立脚すること、そして、それを指摘してくれる人なり、発見してくれる人なりが必要になる。ということだろう。

自分では当たり前に思っていることは、なかなか人と違うとは思わないものである。漫画には、編集者がいるが、編集者はそのような違いを発見するためには、非常に大事な役割を担う。ということがわかる。

自分の中にあるオリジンを見つける。あるいは、それを発見し活用する。とした場合、まず初めにしなければならないのは、そのオリジンがどこにあるのか。を見つける作業になる。

なお、上記には、その違いは、大半の場合、選べないものである。と書いたのは、選べないものは、真似しようがない。ということだからだ。

例えば、ヨシノサツキ氏の根底となる価値観を学ぼう。と思っても仮に本当の意味でそれをする場合、島で生まれ、島で生活し、日々を過ごす必要がある。

しかし人は、誰から生まれるか選べるわけではないし、生まれた時の環境は、何一つ人は選ぶことはできない。ゆえに真似することができない。だから、同じような作品というのは、実は生まれにくい。真似できないからだ。

このようにオリジンを軸にするというのは、非常に難しい分、強力なオリジナリティとして発揮することにもなる。

オリジンに関して考えて感じたのは、人と違う部分にある。ということと、その違いは、大半の場合、選べないものである、ということ。この2つなのではないかと感じる。

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