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《変容の対象》2023年8月第10-11小節目(fine)

福島諭さんから《変容の対象》2023年8月第10-11小節目が送られて来る。ここで(fine)とする。

昔自分は文字を読まずには居れない質でだからjazzを聴き始めた頃になるけれど片っ端から批評、評論をよく読んだものだった。いったい、その評論が正しいという保証は何処にもないのに、本という体裁をとっているのだからという謂わば幻想で闇雲に信じていた節がある。でその刷り込みは結構強烈に残ることも。今考えてみれば例えば誰それの演奏は「手癖」であるから云々という少しばかり小馬鹿にした文章があって複数の人たちによる座談会のような体裁の文章があったが、その誰も対象の演奏家の演奏をある一定数でも採譜して吟味して検証していないのは今ならわかる。何せその者たちは演奏家ではないのだからcharlie parkerを踏んでさらに順に様々なjazz manの採譜を延々とやり云々、、、といった行為を通過している筈がない。それが結構な名の通った評論家たちだったので、その時は知らないものだからそんなものなのかとも思ったりしたけれど、実は全くそうではないのは明らかなのだと今なら判断がつく。あろうことかその時槍玉に挙げられていたのはかのeric dolphyだった。度し難い誤謬であり、愚劣な行為である。

谷崎の細雪の中巻の途中で江戸川乱歩短編集を拾い読みする。文庫で表紙がかの丸尾末広によるもの。それにしても太平洋側の黒潮の通る地域のこの湿度の多い、重い暑さには閉口する。本当に。

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