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小説「鎗ヶ先の交差点」③

 土曜日になると実家からほど近い三宿通りに家の車で向かった。当時はカフェブームで、その発祥の地が三宿だった。最寄りの駅も遠く、陸の孤島にある通りにはカフェが溢れていた。
 まだ駐車違反の取り締まりも厳しくなく、渋谷や下北沢に近いわりには訪れにくいその通りには西麻布のような特別性が生まれ、アーテイストや成功者が夜な夜な集まっていた。
 僕はその三宿通りの一番奥にあるカフェで週末にレギュラーのDJをしていた。
「おはようございます」
 夜十時を過ぎているのに芸能人気取りの挨拶をして店に入った。すると、カフェの店長のカナさんがカウンターから迎えてくれた。
「おはよう。今日よろしくね」
「はい。まだ混んでないですね」
「うん。今日はお客さん来るの十二時過ぎくらいからかなあ。あ、そうだ。あんたに会いたいって友達がいるから今日紹介するね。DJ頼みたいってさ」
「マジっすか?ありがとうございます」
 カフェブームの火付け役となったこの店は当時流行っていた家具屋が運営していた。ガラス張りの四階建のモダンな建物は通りの中でも有名で朝まで営業していた。深い時間になると店の前には高級車が何台も停まる、三宿通りで一番人気のカフェだった。
 店長のカナさんとは大学の時にイベントで出会った。そのイベントを主催していた友人の兄の恋人で、下っ端だった僕がひどく酔っぱらったカナさんの介抱をしたのがきっかけだった。
 長身で綺麗な人だったが男勝りな性格で、その時も客の女性と喧嘩して怪我をしていた。先輩の指示で手当をしようとカナさんに近づくと睨まれてこう言われた。
「あんた誰?」
 それがカナさんと話した最初の会話だったのを今でも憶えている。
酒を飲むと手がつけられなかったが面倒見がよく、その時をきっかけに僕を弟のように可愛がってくれるようになり、このカフェがオープンする時に声をかけてくれたのだ。その時のカナさんは三十歳手前だったと思う。
「顔広い人だから人脈広がるかもね。頑張りなさいよ」
「ありがとうございます。じゃあ準備します」
「よろしく。今日は賄い何がいい?」
 カフェでのDJのギャラはなかった。その代り、賄いとカナさんの人脈を駆使して時折DJの仕事を得ることができた。
「タコライス食べたいです」
「了解」
 僕は重いレコードバッグを担いでDJブースのある二階へ向かった。
根拠のない自信があったとはいえ、僕のDJ活動は順調とは言えなかった。このカフェでのDJに不満はなかったが、やはりクラブでまわしてこそDJなのだ。しかし僕はレギュラーのイベントを持っていなかった。なぜなら音楽仲間がいなかったからだ。
 当時、DJとして名を売るにはセオリーがあった。友人達と平日のイベントを始め、知り合いにどうにか来てもらいながら売り上げを上げ、コツコツと集客を増やして、やがて土日に移動する。
または大きなイベントに雑用係として入って、そこから少しずつ名前を売る方法もある。しかし僕にはその両方とも肌に合わなかった。
 友人とイベントを開催しても自分がメインの時間に回せないと嫌だったし、途中からイベントに入って先輩に媚びを売るような上下関係も苦手だった。
 高校、大学でやっていたイベントは遊びの延長のようなもので、周りは本当の友人達だったから生意気を言っても許容されていたものの、大学を出て全く知らない連中とのイベントは全て上手くいかなかった。たまたまカナさんに声をかけられたからよかったものの、カフェでのDJがなければ、僕は人前でDJをすることすらできなかっただろう。
 この時の僕にはこの三宿という街でしかDJをする場所がなかった。自信があった割には情けない実情だった。しかし野心はあった。DJブームの中で、何の経験もないモデルや俳優が大きなクラブでDJをする事は多々あった。人脈はスキルに関係なくチャンスを与える。僕もこの場所で人脈を築いていけばいきなり大きいクラブでメインのDJができるかも知れないと期待を抱いていた。
 ファッション関係者や芸能関係者らしき怪しい大人達がちらほらと現れる中で、僕はDJを始めた。
 DJの醍醐味はオーデイエンスの反応だ。時折、客が曲名を聞きに話しかけてきたり、身体でリズムを刻んでいる姿を見るといい気分になった。
カフェと言う場所柄、踊る客はいないが自分がかけた曲に反応している客がいると嬉しくなる。バイトと曲作りと、家の壁を前にしてDJをする日常の不甲斐なさから解放される週末は僕にとってかけがえのないものだった。
 十二時を過ぎた頃、一旦休憩をしに一階のカウンター席に向かった。朝まで一人でDJをするので、休憩を入れないとレコードの数も持たなかった。この頃のDJはまだレコードを現場に持ち込んでいて、持ってこられる枚数は限られていた。
カウンター席には大きなハットを被ったデザイナー風の男と、ショートパンツを履いた外人のような顔立ちの若い女性が座っていた。
「優希。こっち。こっち」
カナさんに呼ばれハットを被った男に紹介された。
「この子、私の弟分の山崎優希」
 男が手を出して「やあ」と馴れ馴れしく言った。かなり酔っているようで目の焦点は合っていなかった。僕は「どうも」とその手を握った。挨拶をしながら、僕は隣に座っていた女性の瞳の大きさに釘付けになっていた。しかし彼女は僕に目を向けず手元にあるグラスを見つめていた。
「君がDJの優希君か。カナから聞いているよ。今度お願いしたいんだよねえ」
 長い口髭を生やしパナマシャツを着た男は佐々木と名乗った。力の抜けた妙な喋り方をする男で年齢は四十代くらいに見えた。
「佐々木さんはね、アパレルブランド経営してるのよ」
「そうなんですか。凄いですね」
 この当時にはこんな得体の知れない経営者ばかりがこの店には集まっていた。景気が少しずつ上向いている途中で、自称アパレルやデザイン会社の社長が溢れていた。
「そんなことないよう。とりあえずDJ頼むよ。うちの店のレセプションパーテイーでさ。他にもDJいるんだけど、カナが君のDJ良いって言うからさ」
「ぜひやります」
「じゃあ決まり。場所は青山だから」
「ありがとうございます」
「連絡するよ」
 話が済むと、すぐに佐々木は僕への興味を失い、隣の女性に向いた。
 同じカウンター席でタコライスを食べながら、僕は佐々木が連れて来た女性を盗み見ていた。瞳が嘘みたいに大きくて、唇が少し厚くハーフなのだろうと思った。こんな女性を連れて歩けたら、どれだけ鼻が高いだろうと思うほど美しかった。
すると、店にカナさんの知り合いの客が入って来た。カナさんはカウンターを出てその客としばらく喋ると、佐々木を呼んだ。佐々木は隣の女性の背中をさすり席を立った。カウンターには僕と彼女の二人きりになった。
 彼女は大きな瞳で店内を眺めていた。その視線の先を追いながら、何か話しかけようと思ったが、話題が見つからなかった。すると突然声をかけられた。
「あの、DJさんなんですか?」
 僕は口に運んだご飯を早急に飲み込んでから答えた。
「あ、はい。一応は」
「週末はいつもここにいるんですか?」
「はい。よかったらまた来てください」
 見つめられるとなぜか恥ずかしくなって、眼を合わすことすらできなかった。さぞかし自信のない男に映っていただろう。根拠のない自信はこういう時に役には立たない。
「私、家この辺なんです。だからまた来ますね」
「え?この辺?」
「はい。蛇崩の交差点のすぐ近く」
「そうですか。じゃあぜひ。土曜日は必ずいるんで」
「はい」
 すると佐々木が戻って来て、僕と彼女の間に座った。僕はカナさんが作ったタコライスを食べ終えるとDJブースに戻った。
 DJをしながらも彼女が気になって仕方がなかった。いったい、年齢はいくつなのだろうか。佐々木との関係は?確かめたいことが山ほどあったがそんな立場ではない。せめてもう一度その姿を見たかったが、二階からは見ることができなかった。
 朝方にDJを終えて下に降りると当然、佐々木と彼女の姿はなかった。
「カナさん。佐々木さん紹介してくれてありがとうございます。それにしても綺麗な女性連れていましたね」
「ああ。あの人いつも違う女連れてるからね。あれも彼女かどうかはわかんないけど。それよりも、DJがんばりなさいよ」
「はい」
 僕は、また来ますね、と言った彼女の言葉を信じて一週間を過ごした。
これが根本知花と僕の最初の出会いだった。この時の僕には何もなくて、彼女には若さと美貌があった。僕はこの時から彼女を追いかけ始めたのだ。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。