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小説「鎗ヶ先の交差点」④

 次の週の朝方。知花が一人で店に現れた。彼女は僕を見つけると笑顔で手を振った。僕もヘッドフォンをしながら手を挙げて応えた。また会えた嬉しさをおし隠して。
 僕は知花を盗み見ながらDJを続けた。時折目が合うと、彼女は微笑んだ。僕はその度に照れて下を向いた。この時ほど、自分のDJの時間が早く終わらないかと願った事はない。
 やっとDJを終えて知花のテーブルに座ると、カナさんが意味深に微笑みながら二人分のラムコークを出してくれた。僕はその微笑みに気付かないふりをして、知花との話を続けた。
「音楽、好きなの?一人で来る人ってあんまりいないから」
「ううん。全然聞かないかな」
 外人のような顔立ちから、きっと音楽が好きなのだと決めつけていたが、いともあっさりと知花は否定した。しかし、そうなるとなぜ一度会っただけの僕のDJを聴きに来たのだろうと思った。もしかしたら僕に気があるのかもしれない。そんな淡い期待を持たなかったはずもない。
「そうなんだ。今日は仕事の帰り?」
「うん。まあそんなとこかな」
 知花はラムコークのグラスを眺めていた。彼女はあまり自分から喋るタイプではなかった。しかし僕は知花のことが知りたくて、どうにか話を広げようと必死に話題を探した。すると少しずつ自分の事を教えてくれた。
 今はヘアーモデルなどをしていること。僕と同じようにこの地域で育ち、同い年であること。佐々木との関係を聞きたかったが聞けなかった。そんな野暮な事を聞いてしまえばもう会えなくなってしまうような気がした。
 話の中で、時折僕が冗談を言うと知花は笑った。美しい顔が崩れて可愛らしさが覗く笑顔に僕はすぐに心を奪われた。すると不意に智花が言った。
「DJとか、やりたいことがあっていいね」
「そんなことないよ。君だってモデルやってるなんて凄いよ」
「モデルって言ってもヘアーモデルだから。それにたまたま今はって感じだし。私はそんなにやりたいこととかないから」
「でもやりたいことがあったとしてもすぐに叶うわけじゃないから」
 曲がりなりにも、僕は早々にやりたい事を見つけることができた。しかし、やりたい事が見つからなかったらどうなっていただろうか。もしかしたら普通に就職していた方が楽だったのではないかとこの頃には思うこともあった。そんな思いが言葉に出てしまった。
 本当はもっと背伸びして誇張してカッコつけたかった。でも、あまりに大人びた知花の前で、そんなことをしても無駄だと思ったし、その大きな瞳で見つめられるとすべてを見透かされているような気がした。
「叶うといいね。いつか」
 溶けていくグラスの氷を見つめながら知花が言った。客がまばらになった店内にはマルーン5のSHE WILL BE LOVEDがながれていた。僕は彼女の長いまつ毛を見つめていた。
 閉店の時間になり、店の従業員が片づけを始めた。結局、彼女が一体何を望みここに来たのはわからなかった。しかしそんなことはどうでもよかった。この時の僕にはどうやったら知花ともっと近づけるのか。次に会うためにはどうしたらいいのか。そんな切迫感しかなかった。そしてラムコークのグラスが片付けられた時、僕はどうにか勇気を出して知花を誘った。
「もう閉店だから送ろうか?」
「いいの?でも逆じゃない?家と」
「大丈夫。近いから」
「じゃあお願いしようかな」
 僕は安堵と緊張を隠してレコードをバッグに詰めた。二人で店を出る時に、カナさんがまた意味ありげな視線を送ってきたので足早に店を出た。
「車なんだ」
「まあ、家のだけどね」
 三宿通りから蛇崩の交差点までは数分もせずに着いてしまうほど近い。気づかれないように遠周りできる距離でもなく、僕は焦っていた。まだ何も、知花の連絡先さえも聞けていないと。どのタイミングで連絡先を聞こうかと考えていると、あっという間に蛇崩の交差点に着いてしまった。
「えっとここからどうすればいい?」
「あ、信号越えて、ゴルフの打ちっ放しがある道に入って欲しいんだけど」
「わかった」
 上目黒のゴルフ場の隣のマンションに知花は住んでいた。新築でオートロックも付いているマンションを見た時、僕はまだ実家に住んでいる自分との差を思い知り情けなくなった。こんな自分とまた会ってくれるだろうか。途端に不安が襲った。しかし、マンションの前に車を止めると知花が言った。
「ありがとう。次は佐々木さんのパーテイーだね」
「あ、来るんだ」
「うん」
 するとすぐに知花は車を降りてしまった。連絡先を聞こうと身を乗り出すと、扉を閉じる瞬間にこう言った。
「DJ、かっこよかったよ」
 そしてたまらない笑顔を残して、知花は走ってマンションに入って行った。
 何よりも嬉しい言葉に僕は舞い上がった。読めない彼女の心の中や、自分の不甲斐なさもどうでも良くなった。
 次に会う時にはもっといいところを見せよう。そして・・・。連絡先を聞けなかったにもかかわらず、そんな期待ばかりが僕の心を占めていた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。