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贈りもの

巷ではブラックフライデーとかクリスマス商戦とか、ここはどこの国かと思うほど、耳目に触れるようになった。
(そういえばカジュアルフライデー、プレミアムフライデーはどこへ消えてしまったのだ?)

一方で、日本にはお中元やお歳暮といった季節の風習があるように、日本人は元来、贈りものが好きな人種なのではないかと思う。

かくいう私も贈りものをするのが好きだ。

街中で、おいしそうなもの、かわいらしいもの、便利そうなもの…などを見つけたとき、「あの人にどうかな」と、贈る相手を想像してしまうのが日常だ。(ここでいう “あの人” とは、親や友人、親戚、パートナー、職場の同僚など、いろいろである。)

よって、“あの人” のために選ぶことよりも、モノを見つけてから “あの人” を想像することのほうが多い。

この歳になって、誕生日とかクリスマスとか、プレゼントを贈る相手のために選ぶのはなかなか困難になった。なぜならば、たいていの大人は自分の好みを持ち、欲しいものがあれば自分で購入できる生活を送っているから。

正直言って、私はモノをあげたり贈ったりするのは、渡す側のエゴだと思っている。そう、エゴだと思っているからこそ、誕生日やクリスマスなどのイベントに関係なく、さりげない毎日の中で誰かに何かを贈りたくなるのだ。

理由なんて何とでも言える。

日頃からお世話になっているから。
おいしそうで食べてもらいたいと思ったから。
雰囲気にぴったりで似合いそうだったから。

受け取る相手はびっくりするだろうけれど、プレゼントなんてびっくりさせたもん勝ち。びっくりさせることにこそ意義がある。だって、エゴだから。

そう言いつつも、選ぶのはたいてい食品や実用的で消費できるものが多い。なくなるモノのほうが、相手にとって処分するときにわだかまりがないという点で。あまり気負わせないという点で。

贈りものにおけるそういったかたちが、私のポリシーみたいになっている。

さて、当然ながら “自分への贈りもの” も忘れない。念願かなって買うことのできた東京會舘のマロンシャンテリーは、大仕事を終えたいまの自分にぴったりのご褒美だ。しかも、茨城県の笠間産和栗を使用したプレミアムな季節限定品。値札に思わず3度見くらいしてしまった。


この逸品は、誰に贈っても喜ばれるに違いない。

贈る気持ちはPriceless.

と、言いたいところだが……

泣く子も黙るほど、高い。