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吾輩は猫ではない。

 吾輩は猫ではない。だが名前はもうない。もちろん生まれてからずっと親がつけてくれた名前を名乗っていたが、つい最近それを名乗るのをやめた。
バイトできゅうりを袋詰めしている時にふと名前を名乗ることをやめようと思いついた。誰かにそうしなさいと言われたわけではない。誰か偉い人に名前を名乗ることを禁止されたわけでももちろんない。なんとなく気まぐれで名前を名乗るのを辞めると決めた。深く考えもせず。だが自信を持って。気がついたら名前を名乗るのを辞めてしまった後だった。

自分の名前が特段好きなわけもないが、名前が長いこと以外は、別に嫌いということもなかった。生まれたあと、ひょっとすると生まれる少し前から、親や親戚が知恵を振り絞って、素敵な願いをこめてつけてくれた僕の名前。その名前と2o年間ずっと一緒に生きてきた。もちろん愛着はある。僕にとっては唯一無二の文字の並びだ。だが、ついこのあいだ、強い未練や執着もなくその名前を名乗るのをやめた。

「渡邊純一郎」という文字の影は、ずーっと僕にくっついてきた。寝ている間も風呂に入っている間も学校でもディズニーランドでも。渡邊純一郎は僕にくっついてきた。
 小学2年生の夏。夜9時半ごろ。鏡の前で歯を磨くとき、毎晩のように鏡の向こうにいる自分に問いかけていた。

「お前は誰だ?」と。

そう問いかけると、鏡の中向こうにいる、自分によく似た生き物が、勝手に口を開き始める気がした。

「え?誰かって?僕はねぇ・・・」

そこまではいつも聞こえる。だがそのあとは急に怖くなって目と耳を背けてしまう。あれほど気になっていたのに、いざ答えを聞く瞬間になると、決まって僕は逃げ出した。夜だったから純粋に怖かった。そしてそれ以上に、あともう少しでも鏡の中の生き物を眺めていると、やがてそれが動き出しそうで怖かった。

年齢が上がるにつれて、鏡の中の生き物に向かって問いかける回数は減った。鏡の外側にいるのは自分であり、鏡の向こうにいるのも自分なのだと信じて疑わないようになったからだ。鏡を隔てた両側には24時間365日、毎日欠かすことなくきちんと「渡邊純一郎」がふたり立っていた。それに気づいてからは、鏡の中の生き物を怖がることはめっきりなくなった。だって両方自分であり、渡邊純一郎なんだから。


 そんなことをよく考えていたなぁと思い出しながら僕は教育心理学の授業を受けていた。火曜日の2限。まだ若干眠いが、この先生は学生を惹きつける話し方をする。聞いていて飽きが来ない。むしろもっと聴きたくなる。教科書の内容も面白い。僕はこの先生も授業内容も両方好きだ。
授業のテーマは「アイデンティティの形成」。多くの人は中高生くらいになると自分とは何者かを疑問に思いはじめる。そういうよくわからなくてかつ苦しい時期を乗り越えて、人は自分とは何か?に対してとりあえずの答えを見つける。みたいな話だった。自分も小さい頃よく鏡に向かって「お前は誰だ?」と問いかけていたなぁとここで数年ぶりにふと思い出す。だが少し違和感が残る。あれは小学校低学年の頃だった。いわゆる中学生、高校生で多くの人が迎える「思春期」と言うにはまだ早い時期だ。「あれ?なんでだ?」少し引っかかったが、授業が終わると、その違和感も忘れてしまった。そのあと友だちと食べた昼ごはんはいつも通りおいしかった。

 その次の週、また別の授業。この授業は欧米の教育の歴史について勉強する授業。西洋教育史という授業だ。高校の世界史で勉強したことを思い出しながら、教育の歴史に焦点をあてて詳しく勉強していく。
この授業は対面で行われている。授業の半分が過ぎると、少し休憩になって出席カードが配られる。このカードに名前と学籍番号を書いて授業の最後に提出する。先生が一人一人に一枚ずつ配って歩くので不正ができない。ちゃんと教室に来ないと出席にならない授業だ。あれ?進次郎みたいなこと言ったか今?
とりあえず僕は自分の名前を書いた。「渡邊じゅん…」あ、間違えた。消しゴムを取り出して純の文字を書きなおす。書き終わった。カードを右手で持って左手で消しカスを払う。

そしてはっとした。

自分の名前を書くときに消しゴムを使ったことがここ数年で一度でもあったか?多分一度もない。いや絶対になかった。驚いた。認知症でも始まったのか?ちょっと不安になったが、その時は特に気に留めなかった。だがここでも小さな違和感がほんの少しだけ残った。


バイト先できゅうりを袋に詰めていた。5本で1セット。ひたすら単純作業。たまに腐って悪くなっているやつもあるのでそれには注意しながら。色々なことを考えながら黙々と手を動かし続ける。課題のこと、サークルのこと、気になる女の子のこと、今日の昼ごはんのことなどなど。そして教育心理学の授業で感じた違和感のこと、名前を書く時に消しゴムを使って直したこと。

それらは突然繋がった。そして閃いた。

渡邊純一郎と自分自身を区別すれば良いんだ。

鏡の中にいたあの生き物はやはり僕ではなかったのだ。小学校低学年の頃によく不気味がっていたあの生き物。どこか僕よりも大人で、いつも僕のことを嘲笑していたあの生き物。あれはやはり僕ではなかった。あいつの正体は渡邊純一郎だ。僕自身ではない。渡邊純一郎は確かに僕かもしれないが、僕は渡邊純一郎そのものではない。渡邊純一郎だけが自分自身というわけではない。

「名前と自分自身は別物」というかなり単純なことだった。だがこれに気づくまでに13年くらいかかった。
小学校高学年にもなると、だんだん視野が広がってくる。自分ができること、できないこと、やりたいこととそうでないこと、そしてやらなきゃいけないことなど諸々を無意識のうちに分類するようになる。いま自分に求められていることをなんとなく察知し、その通りに実行するようになっていく。この変化は、子どもが大人になっていく変化とみることもできるだろう。自分が置かれた状況を二人称や三人称の視点から眺めてみて、自分の次の行動を決めていく。メタ認知みたいなことが徐々にできるようになっていく。
メタ認知ができるくらい脳が発達してきてから、僕は「渡邊純一郎」として人生の時間の大半を過ごすようになった。迷ったときや辛い時は渡邊純一郎だったらどうするだろうと自問してみる。渡邊純一郎だったらこの時間は勉強するだろう。渡邊純一郎だったら朝起きて部活に行くだろう。渡邊純一郎だったら友だちとこういう話をするだろう。渡邊純一郎だったら………

僕は渡邊純一郎として人生を生きてきた。僕の人生は疑いようもなく渡邊純一郎の人生だった。しかし僕自身の人生だったのかと聞かれると、一部分ではそうだったけれど、他の部分ではそうではなかったというのが正しい。なんだか不思議な気分になった。

だから僕は名前を名乗るのを辞めた。より正確に言えば、自分に対してお前は渡邊純一郎だという自己暗示をかけ過ぎないように注意しようと決めた。僕は今後も渡邊純一郎であることには違いない。しかし、それはただの名前であって、僕そのものではない。そこの区別をするようになったのは、今年最後の大きな変化かもしれない。渡邊純一郎(自分)の時間と、渡邊純一郎(他人)の時間を作ろう。そう決めた。

これを読んでくれる人の中にも僕と同じような体験をした人がいるのではないか。あたりが静まり返った夜、少し怖がりながらも、もう小学生なんだからもう大丈夫と自分に言い聞かせながら一人で歯を磨いていたあの夜。鏡に向かって問いかけたことがあるのではないか。

「お前は誰だ?」


 「吾輩は猫ではない。だが名前はもうない。」なんて文章の書き出しがあったらオシャレじゃないか?夏目漱石をもじりつつ、自分の考えていることをちょっと織り交ぜた感じにしたら良いんじゃない?
 良さげなアイディアを得て上機嫌になった僕は台所へ向かう。コーヒーが飲みたい。フライパンでお湯を沸そう。テフロン加工された黒いフライパン。上京した時に買ったフラインパンだ。ちょうどコップ一杯くらいの分量の水を張る。そしてガスコンロの上に置いて火をつける。

その一瞬水面を覗き込む。火をつけるその一瞬。水の中にいる生き物に向かって思わず問いかけてしまう。

「お前は誰だ?」



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