映画は通しで観ないと意味がない

今年に入って毎晩なるべく映画を観るようにしている。
理由としては圧倒的に映画の知識が足りないこと、作品の観る目をつけるためである。

その時意識してるのは、なるべく部屋を暗くして携帯を触らないように遠くへ置き、一時停止せずなるべく通しで観るようにしてる。
(なるべく映画館の方式を守っている。)

それを続けていると、たまに凄い作品に出会うことがある。
そして観てよかったと思うのと同時に、自分もこんなにも人を感動させる映画を作りたいと思う。
逆に途中で止めたり、何日もかけて観た作品で感動することはない。


感情というものは、周りの環境に左右されやすいと思っている。
周りが騒がしいと集中したくてもできないし、通知音がうるさいとそれに気を取られてしまう。

だからこそ、映画や演劇といったものは通しでみないといけないと思っている。
途中で止めてしまうと、今まで積み重ねてきた感情が全てなくなってしまうのだ。
そして、次観るときにはまた感情がフラットになった状態で観るようになるのだ。
そして、再生してすぐストーリーのオチが来たとしてもその衝撃は少なく、感情の揺さぶりは少ない。
感情の揺さぶりが少ないということは、すなわち感動しないということなのだ。

僕が思う感動とは、日常(日常生活)と非日常(映画)とのギャップだと思っていて、このギャップをいかに作るかが、クリエイターに求められる。
しかし、このクリエイターが頑張って作り出したギャップを観客が途中で止めてしまうと、それは台無しになるのである。


現代人は実に不幸だと僕は思う。
もちろん、VODの普及によりいつどこでも世界トップクラスのコンテンツを観るのが可能になった。
しかし、その「いつどこでも」というものが、僕たちから「感動」というものを奪った。
その変わり「消費」のスピードが格段にあがった。
今は「観る」「体験」って言うよりかは「消費」である。

そして、観るものの目が肥えてしまった。
しかし感動する体験は確実に減ったと思う。

TikTokが出てきて尚更その影響は加速したと思う。
短尺で消費されるメディアでは感動するのには短すぎるし、人はそんな短時間で感動できないと思う。
たとえ感動できたとしても、それを行動に移せないと思う。


映画ってやっぱり通しでみないとその全てを享受できないと思う。
面倒くさいし、最後まで観るのも体力が必要なのも分かる。
でもそれを超えた先には、凄い感動が待ってるかもしれない。
そう信じて観ているし、僕もこれからそう思われる作品を作っていきたい。

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