空気を読む文化

Twitterを見ていると、 

日本の空気を読む文化

これが嫌いだという人で溢れている。

テキストベースでのコミュニケーションの話ならわかる、テキストは文字にしてなんぼだからだ。

でも、発言者の投稿を見ていると、どうやら

この文化そのものが嫌いらしいのだ。

確かに、相手の意見や、グループの持つ方向性や、慣習などは、はっきり言ってもらわなければ理解できない部分があるし、モヤモヤした状態で物事が進むと、あらぬ方向に進んで後々面倒な事になる事も多い。

でもこれは「空気を読む事」が悪いのかと言うと、そうでは無いと思う。

空気を読むのは、元を辿れば相手への気遣い、周囲への配慮といったもの、いわば

優しさから生まれた文化

たと思っている。(証拠はない)

日常の生活を振り返っても、仕事でも、周囲の人が空気を読んでくれて、助けられたこと、リスクを回避出来たこと。色々な人と和やかに過ごせたこと。

この空気を読む文化に救われた体験は例を挙げると枚挙に暇がない。

空気を読む=相手への配慮

と言っても過言ではない。

だから、空気を読むこと自体が悪いのではないと思っている。

そもそも、言葉で全てを表現することは不可能なので、空気を読むのは必須のスキルだと思う。

きっと、空気を読む文化を否定している人が問題視していることも

空気を読むこと自体を否定したいわけではないと思う。

周りに空気を読んでもらう姿勢に悪い意味で慣れてしまった結果、感謝を忘れた人がこの習慣を身につけた怠慢さが問題なのではないだろうか。

空気を読んでもらうことは、感謝の対象にこそなれ、相手に決して押し付けるものではない。

だから、僕は次のように心がけて過ごしたい

空気は読もう、でも読んでもらうことを期待してはいけない

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