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米沢牛~マタギの里~日本海|乗り鉄夫との平成よくばり鉄道旅#1

 何年か前に行った占いスナックで「あなたは旅人」と言われたじゅんぷうです。

 2019年に終了してサポートの切れたYahoo!ブログと、過去にコミケで販売していた同人エッセイに記していた「乗り鉄」夫との旅日記を令和のいまほじくってみる、乗り鉄夫による理不尽を風化させないための自分企画をそっと始めます。

「乗り鉄」の夫と、1ミリも鉄道に興味のない私が結婚したのは1998(平成10)年のこと。それから第一子誕生までの数年間で、ひたすら鉄道に乗りたい・路線を乗りつぶしたい夫(今も昔も自由業)と、とにかく好きなところに好きなだけ行きたい私(当時徹夜残業デフォルトの社畜)が、

夫「ここに行くならこの線に」

私「この線に乗るならここに」

夫「なんでこんなところ…」

私「なんでこんな電車…」

夫「電車じゃなくて列車」

 と、毎回せめぎ合いながら日本のいろんなところに行っていた記録です。

遠回りの旅のはじまりは東北でした。

 平成10年8月。お盆も過ぎた月末、私の夏季休暇と土日をからめて2泊3日+αの旅行に行くことにしたのですが、発端は、私が「林間学校で会津にしか東北に行ったことがないからもう少し遠くに行きたい。米沢牛を食べたい」と言い出したことからでした。
 夫は「いいね!じゃあ秋田内陸縦貫鉄道にも乗ろう!いつか乗りたかったんだ♡」と快諾でしたが、米沢牛は山形…。秋田…行ったことないしまあいいか…ぐらいの気持ちで、結婚2カ月前のカップルが行くには少々渋いポイントへ夏の終わりに旅立つことにしたのです。このときの私は、まだ秋田の大きさを知りません。

 朝6時台の東京発「つばさ」。台風接近中、出発直後に地震で次の便は発車見合わせと、暗雲てこのこと?という旅の始まりでした。私たちの出発の2日前に豪雨で西川峰子さんのおうちが流されちゃった那須付近から徐行運転になりましたが、それほど遅れもなく米沢に到着。

 豪雨や台風、ここ10年の災害を思うと、よくこんなときに旅行なんかしてるよねと呆れちゃう23年前。今だったら行かない。2日前に西川さんち流されてたら、行かない。このころもすでにエルニーニョ現象で夏は猛暑になっていた記憶があるけど、今のように災害級ということはなく、ゲリラ豪雨という言葉もまだなかったころです。

 米沢では上杉家御廟所に寄ってから酒造の資料館へ。このころの私は「日本の名酒事典」が旅のガイドでした。地酒の試飲をして、ほろ酔いで上杉神社で鯉にエサなどあげてからお隣にある上杉記念館でさらに昼酒を飲みつつ鯉の洗いや目的の米沢牛のステーキをいただきました。そして、ランチだけで米沢終了どころか私たちは山形から移動するのです。ところが…

 秋田県田沢湖へと北上予定の私たちを台風も追ってきています。山形新幹線からの乗換駅、福島で集中豪雨のため足止め。米沢を出るとき、予定の1本前が遅れてきたのでそれに乗ったのですが、乗るつもりだった便は運休になってしまいました。おまけに、帰りに乗る予定だった上越線経由の寝台特急「あけぼの」が、群馬県内でホームに土砂崩れのため運休、復旧まで1ヵ月もかかるということがここで判明したのです! 仮にこのあとの行程をキャンセルや変更したとしてもどこかで台風には出会うわけで、だったら台風より一足先に進んでしまうことにしました。

 70分後にようやく来た新幹線に乗り、私たちは福島駅を出ることができました。ゆっくり運転で田沢湖駅に着いたのは20時過ぎ。駅前も真っ暗だったけど食事ができるところを探して入ったお店で食べた岩魚の塩焼きがおいしくて、調子に乗って頼んだ岩魚の骨酒もうますぎて興奮…! おなかいっぱいでタクシーで湖畔のホテルに向かいますが、これがまた遠くて道も暗くて、湖の大きさをまったく把握していなかった私は「ぜったいにぼられてる」と思い込んでいました。翌日地図見てびっくり。

 霧の朝。ホテルの傍らに立つ、田沢湖底に龍の姿で眠っているという伝説の「たつこ」像の周辺を散歩してから、私たちはバスに乗ってなぜかスイス村へ。この旅行のプランを立てているときに私が「ゴーカートに乗りたい」などと気ままな発言をしたためにここに来るはめになったことをすっかり忘れていましたが、雨のスイス村のせつなさったらなかったです。※田沢湖スイス村、2001年で閉鎖されていました…

たつこ。仙北市HPより

 そこからさらにバスに揺られ、田沢湖の遊覧船乗り場へ。ここで間違えてひとつ手前の停留所で降りてしまい、時間がなくて走って船に乗る事態に。さあ、このあと数多の旅先で船に乗るときはいつでも走って乗船することになる、じゅんぷう夫婦のギリギリ伝説の始まりです。90年代のじゅんぷう、厚底サンダルで走ります!

 湖上遊覧を楽しみ、またバスに乗って湖をぐるりと回って田沢湖駅にたどり着き、秋田新幹線でみちのくの小京都・角館へ。
 ここで一応、帰りの新幹線を確保できて一安心。雨の中、人力車で角館の武家屋敷町を散策します。悪天候ながらも、お祭りの準備でやぐらが組まれていたりと街は活気がありました。喫茶店が多いのは、角館のお武家さんたちはコーヒーが好きだったことに由来するそう。
 人力を降りて資料館や武家屋敷を見て回り、大村美術館でルネ・ラリックのガラス作品を観賞したりカフェに入ったりと角館ではなんだか優雅な旅っぽさ出してますが、ここから始まります。角館から、いよいよ乗り鉄夫の主目的、秋田内陸縦貫鉄道に乗ります!

 秋田内陸縦貫鉄道は、鷹巣ー角館間の100キロ近くを走る第三セクターの鉄道です。

秋田内陸線HPより

 向かうのはマタギの里。私は電車自体には本っ当に興味がないのですが、何しろ当時は秋田のイメージがなまはげとババヘラアイス以外なく、もうとんでもない秘境をゆくもんだと想像していました。けれど過去にひとり旅で岡山ー鳥取間を「砂丘号」で移動したとき緑の見過ぎで吐きそうになったのに比べたら、思ったより山深いロケーションでもありませんでした。

 1両だけの電車から乗客が少しずつ降りていき、夏の間だけの臨時停車駅「阿仁マタギ」に到着。私たち以外に降りる人はいません。そこに今夜のお宿、打当温泉のマイクロバスが迎えにきてくれていました。宿泊客は私たちと、東京方面から釣りに来ているおじさまたちの団体だけ=女湯貸切。夕飯は予約していた熊なべです…! ゼラチン質で、さっぱりした牛といった感じで想像より美味しくて「高清水」の冷酒がすすみました。

 旅の最終日も雨。前夜に熊なべを食べた私たちですが、来ちゃいました、熊牧場。ちょっとだけ命のこと考えながら、エサやりに夢中に。熊牧場の山を下りたら、釣りなどができる野外レジャー施設へ。またゴーカートに乗ったり、岩魚のお刺身食べてまたまた冷酒飲んだり。この日、朝から出会ったのは人間より熊のほうが多い状態で阿仁マタギをあとにします。今度はサロンつき2両編成の急行で、終点の鷹巣へと北上します。

 現「くまくま園」HPより。こぐまたち

 デジカメとフィルムカメラを併用していた時期だと思うのですが、この旅行にはフィルムカメラを連れていってたんですね。フィルムを買い足そうと、鷹巣の街で写真屋さんを探しました。
 当時主流といってもいい「APSフィルム」。専用のカートリッジに入っているのでそれまでの35ミリフィルムより断然扱いやすく、インデックスプリントもできる画期的なものでした。
 写真屋さんを見つけて「APSフィルムください」と言ったら、店のおばさまに「はい、PHS」と本気で返された思い出。時代ですね…。PHSも使ってましたよ、着信すると光るドラえもんのストラップつけて※携帯電話普及前夜のパーソナル・ハンディフォン・システムです念のため

APSと

PHS

 さて鷹巣からは特急「かもしか」で秋田駅に向かいます。2時間ほどかかるそう。秋田は広いよ…というかこの旅行、ほとんど秋田メインですよね? 米沢牛、寄り道程度ですよね?
 台風被害がなければ秋田で夜ごはんも食べて東京には寝台特急で明朝着く予定でしたが、新幹線で夕方帰ります。
 台風は太平洋へ抜け、秋田港は波もおだやか。港に立つタワーの展望レストランで稲庭うどんなどすすりながら眼下の日本海に陽が沈むのを見届け、私たちの旅もしっとりと終わりを迎えるはずでした。
 新幹線まで時間があるからと、ぶらぶら歩いて本屋なんか寄ったりして、時刻表を立ち読みした夫が「時間まちがえてた!!」と叫んで走り出すまでは…。

✦うっかり者の乗り鉄とうっかり結婚してしまった私のうっかり旅行記
お読みいただきありがとうございました。次は瀬戸内編です✦


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