見出し画像

自分の中の嫌いな人の収めどころ

「あの~ 純子さんは嫌いな人はいますか?」
と、まぁこんな質問をいただいたわけですが。

「います!」

「その人とどのように接していますか?」

 表向きは普通に接しています。あんたなんか大っ嫌いーーーー!と言いたいところを、大人なふりしてグッとこらえて、極力最小限の会話で済むように接しています。

 苦手と嫌いって違うんですよね。数学が苦手、英語が苦手、椎茸が苦手、勉強して頑張れば、えいやって口に放り込めば、何とかなるんです。苦手は普通と嫌いの中間に位置するんだろうな、なんて私は思っています。

 苦手は何とかなる、だけれども嫌いはもうアウトですよ。嫌いなんですもん。一種のアレルギーといっていい。

 それなのに、残念ながら嫌いな人をパソコンデータのようにサクっと消去ができないのです。私たちが持つ潜在意識というものは、一度入れた情報は蓄積されて消し去ることはできません。思い出を消せないのは潜在意識に記憶として入り込んでいるからです。

 先に、私にも嫌いな人がいると書きましたが、自分の意識の中に嫌いな人カテゴリーを作ってそこにその人を入れてあります。無理やり記憶から消そうと思ったら余計にいろんなことが思い出されて腹が立つじゃないですか。ですから、嫌いを認めて意識の中に置いておくんです。すると、嫌いなんだからもういいや、嫌いな人を好きになる努力なんてムダだしそんな人にあれこれ思われても関係ないわと、心のざわめきが落ち着くわけです。

 本棚から引っ張り出して、池田晶子さんの「暮らしの哲学」を読みました。こんなことが書いてあります。

「人間をその根底において衝き動かしているものは、これが好きで、あれが嫌いだいうこの不可解な情動であって、決して主義やイデオロギーではないのですよ」P149

 池田晶子さんは本当に鋭い感性を持った人で変わり者。私は彼女の考え方に同意することが多くて凄く好きです。残念ながら鬼籍に入っている人。暮らしの哲学と本のタイトルにありますが、日常の暮らしについての哲学なんてこれっぽっちも書いてありません。

 話は戻り、嫌いな人についてですが、嫌いな人を嫌いだと認めることが凄く大事なことだと私は思っています。昔はそんなこと思っちゃいけないと考えていたのですが、自分の生き方の軸ができればできるほど、私が思う正しさから極端に外れている人を嫌うことは自然なことだと思えるようになりました。こういう考え方の方が生きていて楽ですもの。

山下純子

🚩山下純子コンサルティング
明治神宮の中にあるパワースポット「清正井(きよまさのいど)」をご一緒することもできます。ご希望の方はコンサルティングお申込みのときにお書き添えください。
https://ameblo.jp/junko-485/entry-12701236252.html

🚩家づくり リフォーム アパート建築など是非お任せください。
株式会社 エムトラスト
https://artworkhome.jp/

この記事が参加している募集

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?