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災害ボランティアについて書いた文章がきっかけでラジオに出演した話

元旦、年越しから実家に泊まり込んでいる93歳の祖母の散歩に付き合った。義妹と甥もついてきてくれた。帰宅したら、テレビ画面いっぱいに、地震のニュースが映し出されていた。
甥も姪も、地震の映像をリアルタイムで観るのは初めてだったようで、津波の映像を見ているときに表情が強張っているのがわかった。

あれから一週間。走っているときも、北陸の寒さを思った。
テレビのインタビューに答える被災地の方々。
ニュースで気がふさぐとき、それでも起床の時間を一定にして、規則正しく生活するのがいいらしい。テレビの電源を切って、スニーカーを履く。

規則正しく生活する。それだけでいいのか?

先日、公認心理師として初めて採用面接に出向いたとき、説明会で言われた。
「あなたがたには、災害や重大事件が起きたときに緊急派遣要請がきます。受け入れてくださいね」
いつもと言ってもいいくらい、日本や世界のどこかで災害が起きている。そのたびに活動を自粛していてはいけないし、普段どおりにただ自分のやるべきことをやる。募金をする。
それでいいのだけれど、私は心理師として何ができるのだろうか?その発想が出てこなかった自分に呆れる。私はDPATに憧れていたこともあるのに。公認心理師の職責は、「国民の心の健康の保持増進に寄与すること」である。
テレビでは、岡山のAMDAが能登入りしたというニュースが報道されていた。
そうだ、書くことが「役に立った」と言ってもらえた、あのことを書いてみよう。

西日本豪雨の経験

2018年。河川敷に走りに行くほど近くにあった高梁川の支流が氾濫し、「隣」の町が沈んだ。高梁川それ自体だって、溢れる寸前だった。
危険、非常に危険、避難レベル、と、スマホで水位の表示が真っ赤に変わっていく。
水道屋さんをしている友達と、そんな夜に些細なことで連絡を取り合ったとき、「この大雨なのに、いや、だからか。何件も呼び出されてるー。マジ勘弁してくれよー」と言っていたことや、そんな大雨の中でも近所のお店に身を寄せ合ってる友人たちもいたなぁって、人間の営みのたくましさも覚えているのだけれど。

「被災地の人」という経験をしてみて初めて、こんなこともあるのか!と知ったことがある。直接の被災者ではなくとも、被災地にいるだけで、感情をかき乱される、以下のような事例が考えられる。

1.自粛する派と自粛しない派での意見の対立

2.ボランティアに行ったら、行ってない人から「ボランティアなんて邪魔なだけ。お金を出すのが一番だ。いい人ぶるな」と言われる。(直接的ではないが、グループLINEとかで…)

3.仕事が忙しくなり、不安定になった友人たちの「私の方が不幸」というSNS上の投稿を目にしてつらくなる

4.遠方の友達から心配する連絡が来るも、逆にすごく仲良しだと思っていたのに来ない人もいて、モヤモヤの原因になる(グループLINEにいるのにな、とかね。

こうしてまとめてみると、SNSもさることながら、グループLINEってモヤモヤの根源になりやすいですね。

私がボランティアに参加したワケ

一般ボランティアの受け入れが翌日から始まることを知り、偽善者と言われようと、どうでもよくって、いつもこれくらいでやれば?って今なら思うほどのスピードで2日分の仕事を仕上げて、「明日休みまーす!」ってド平日に休みをもらった。
偶然にも期末テスト期間中で、私はテストも提出していたし、誰にも文句は言えなかった。炎天下なので、そこでもし熱中症とかで倒れたら、さすがに迷惑かけちゃうけど。生徒にだって、こんな教師も一人くらいはいることを見せておかないと。
その頃は特に運動をしていなかったものの、みんなが嫌がる真夏のゴルフだってへっちゃらだったし、私の謎の体力はこういう時のためにあるのさって、本気で思ってた。

どうしてそんなに即行動したか、というと。

市役所職員の友人の話(愚痴)を聞いたから。

夜を徹して避難所で働いていた(働くはめになった)友人が、早朝に珍しく連絡をくれた。

公務員ってさ、なんでこんなにがんばってんのに、税金泥棒!とか言われるわけ?ひどいよ。私、しばらく寝てないんだよ。避難所でまだ寝てられる人はいいじゃん。みんなストレスマックスでさ、私にあたってくるんだよ。本当に泥棒って言われたんだよ。今やってることって、公務員だからって、やらなきゃいけない仕事なの?

当時、まだカウンセリングの勉強もしていなかったが、ふざけて「じゅんこ悩み相談室」と言って、よく話を聞いていた友人だ。

彼女が夜通ししていた業務を聞いて、私も、「それ、誰がしたっていい仕事じゃん」って思った。

私、専門的なことはよく分からないし手を煩わせるかもしれないし足手まといになるかもしれないので何もできないなぁって思いこんでいたけど、彼女の仕事を助けることならできそう。そんなにしんどいなら、代わってあげるよ!!!

行ってみないとわからないことがある

ボランティアセンターまでは自分の車で行った。渋滞を避けるべきで、車で行かない方がいいという意見がどの被災地でもあるだろう。しかし、推奨されていたルートを通れば別だ。「どなたか車で来られていませんか~?」と呼び掛けられるくらい車が重宝された。駐車場で誘導係をしていた友人が、直接会ったのは7年ぶりくらいだったのに、私を見るなりニカっと笑って、「やっぱ来るよな~」と言ってくれたんだけど、ああいうところで久しぶりに会って言うセリフとしてパーフェクトじゃない!?(いつか使う場面があったら使おうっと)

まだ初日だったので、集められた体育館に、人はまばらだった。
配置を決められるまで並べられたパイプ椅子に座って順番を待つ。その中にまた一人、知り合いの姿を発見した。のちに私がfacebook上に書く文章の登場人物に、しかもキーパーソンになるなんて、そのときは知らない。彼女は営業の仕事をしていて、4人のお子さんがいた。年上なのだが数年ぶりに会っても美貌は衰えず、年齢を問わず男性にすごくモテるタイプの女性だ。
「ボランティアに行くっていったら、嫌味とか言われなかった?ま、気にしない人たちだからここにいるんだよねー。私、いてもたってもいられず、来ちゃった。みんな同類ね!」
って、彼女が笑顔で言うから、知らない人まで「そうそう、私もそういえばモヤモヤすることがありました」と、口々に語り始めた。

正式にボランティアが募集される、とは、現場の指揮をとるプロがそこにいることを意味する。
勝手に、被災地あらば現れる、百戦錬磨のボランティアコーディネーターとして記憶している男性がいる。記憶の中の彼は見た目は100倍くらい美化してしまっている気がするが、確実に、働きっぷりがかっこよかった。たまたまその日に都合がついた大勢の人たちを、てきぱきと仕分けていく。熱中症対策のシステムになっていて、やりたくてもそれ以上やれない仕組みが準備されていた。

次にまた参加したとき、初日とは大きく異なる変化に気づいた。
人が、多い!!!増えている!!!平日なのに!!!
そこは、さながら夏フェスの会場
今日の予想気温みんな知ってんのー?君たちも、バカだねーって(気分はもうベテラン)。
現地まではバスで行く。
バスに振り分けられるときの光景は、屋久島で縄文杉を見に行く前の、あのバスセンターの光景に似ている。
帰るときには、遠くから届いた(私は和歌山や青森のものをもらった)支援物資が全員に配られ、本当にフェスの帰りみたいに、お土産もので荷物が増えた。また、水害のボランティアなので長靴を洗うシャワーとかも、初日はなかった気がするが、いつの間にかできていた。

そろそろタイトルの種あかしをしよう

なんだか大げさに書いたが、補足すると、
災害ボランティアについて書いた(facebook上の)文章がきっかけで、(友人がパーソナリティーをしている)ラジオに(友情)出演した話
が正式だ。

私は、ボランティアに行ってみて、思った。
今回の水害では、行ってもやれることは少ない、だなんて、そんなことは全くなかったと。みんなのちょっとした時間と労力掃除とか片づけとか、家事力みたいなのが一番必要とされていた!)が結集して、やっと少しずつきれいになる。お金はある人は払えばいいのだが、それがあったとしても、こうやって泥を実際に運びだして洗い流す人や、濡れてしまった写真をきれいにしようと干す人や、手の施しようがないくらい一個一個が泥まみれになった家主の大切なものをふきあげる、現場で動く人がいて、やっと少しずつ生活がまわり始める。
知り合いに家の中を見られるのが恥ずかしいという人も多く、ボランティアがありがたいと言ってくれた人もいた。

だから、facebookでそれを伝えようと、初めて参加した日にその体験記を、あえて旅行記風に楽しく書いた。不謹慎かもしれないけど、そんなノリで。
すると、アナウンサーの友達がすぐに連絡をくれた。
「純ちゃんの文章で、人が動くと思うよ。私の番組に出演して。私プロなんだから、うまくやるって。生放送中に電話するから、仕事中でも出られるようにしといてね!」
被災地にいた弁護士の友達もすぐに連絡をくれた。
「なんかありがとう!!読んですっごいうれしい。地元を代表してお礼を言うよ」(町長にでもなる気か、大げさだけど、本当にこう言われたんです!)
「私も行ったよー!投稿が参考になった!」と言ってくれる人もたくさんいた。

名も知れぬ人たち

私は、現場がその気になれば走って行けるくらい近くだったから参加できた。でもバスの中で出会った人たちは、関東の方から来ている人も多かった。「ボランティアにはお風呂が無料開放されてるっていうこのホテル、どんなとこ?こっちとこっち、どっちがお勧め?」とか聞かれたりして。
だから思った。
困ったら誰かが助けてくれる、って思ってるふしがある私だけど、その誰かって、大きな災害があればこうやって現地に来る、名も知れぬ人たちのことだったんだな、って。

こうしてまとめてみると、2018年のことを鮮明に思い出したし、書きたくて書ける人が書くことの使命を感じた。何より、伝えたいことがその通りに伝わって、人の行動が変わったと言われることの嬉しさよ。だから、書くのはやめられない。











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